第46話 退院

文字数 1,108文字

 次の日、やって来た母に、サイドテーブルの和菓子の袋を指して言った。
「昨日、同じクラスの松園が持って来てくれた」
「あらそう。あの松園さんの息子さん?」
「そう」
「あなたたち、仲がいいの?」
「そういうわけでもないけど」
「ふぅん……」

 不思議そうな顔をしてから、母が言った。
「開けてないの? せっかくだから、いただけばいいのに。あなた、あんこ好きでしょう」
「うん。お母さんと一緒に食べようと思って」
「あら。かわいいこと言うじゃない。じゃあ、お茶を淹れようか」
 そう言いながら、さっそく袋を開けている。
「お母さん」
「なぁに?」
 袋を開けることに集中している母は、生返事をする。
 
「今度、お父さんの話を聞かせてよ」
 母が手を止めて、、意外そうに伸の顔を見た。
「めずらしいことを言うわね。興味がないのかと思っていたけど」
 確かに、急に取ってつけたみたいで不自然だっただろうか。なんだか気まずくなって、伸は、鼻の頭を掻きながら言った。
「まぁ、心境の変化っていうか」
「死にかけて、考え方が変わったとか?」
「えっ。母親が、そういうこと言う?」


 それから数日後には退院し、さらに数日、自宅でゆっくりした後、伸はまた、学校に通い始めた。
 行彦のことを思わない日は一日もなかった。多分、もう会うことは出来ないのだろうが、今も行彦のことを愛しているし、いつでも目を閉じれば、鮮明に、その姿を思い浮かべることが出来る。
 毎夜、自分の部屋のベッドで、行彦の美しい顔や体、息遣いや香り、行彦との行為の一つ一つを思い返しながら、熱くたぎる自分の体を慰めた。
 
 一度、以前のように、夜中に、こっそり家を抜け出して、洋館があった場所まで行ってみた。三階建ての大きな建物は跡形もなくなり、がれきも、すでに撤去された後で、闇の中に更地が広がっているだけだった。
 それでも、行彦が現れるのではないか、姿は見えなくても、気配を感じ取ることくらいは出来るのではないかと思い、長い時間、その場に立ち続けていたのだが、空が白み始めても、ついに何も起こらなかった。
 
 
 それでも、まだ諦め切れなかった伸は、学校の休み時間に、窓際で、滋田たちと話している松園のそばまで行って話しかけた。
「あの、ちょっといいかな」
 滋田と古川が、怪訝そうに伸を見る。
「あぁ」
 松園は、二人をその場に残し、先に立って廊下に出る。
「なんだ?」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「俺に出来ることなら」

 伸は、立花芳子にコンタクトを取りたかったのだ。それで、松園に、彼女の連絡先がわからないかと尋ねると、その日のうちに、父親が持っていたという、立花の名刺の画像をスマートフォンに送信してくれた。
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