第7話 絆創膏
文字数 1,818文字
ぼんやりしていたせいか、放課後、松園たちにつかまってしまった。玄関に差しかかったところで、突然、後ろから突き飛ばされ、危うく転びそうになる。
なんとか踏みとどまって振り返ると、左右に子分を従えた松園が、冷たい目で見ていた。伸を突き飛ばした本人らしい古川が言った。
「何ボケっとしてんだよ」
滋田が続ける。
「あーあ、俺たちをシカトしたお仕置きをしなくちゃね」
にらみつけた伸に、松園が、吐き捨てるように言った。
「売女のガキが、ナメてんじゃねぇぞ」
この町は、山間部にあり、美しい自然に囲まれているものの、声高に観光地と言うには若干はばかられるような、なんとも中途半端な町だ。一応、観光スポットのような場所はあるものの、人は多くない。
そんな施設の一つが、少し山道を登ったところから、さらに遊歩道を奥に入った先にある植物園だ。洋館へ続く道の途中にあるのだが、土地特有の植物や、大きな目玉があるわけでもなく、いつも人気がなくて、一応、売店や自動販売機はあるものの、とても収益を上げているようには見えない。
松園は、そこを、伸を人知れずいたぶる場所に選んだのだった。
毎回のこのこついて行くのは馬鹿らしいと思うが、母に迷惑をかけたくないし、絶対に誰にも知られたくない。自分さえ黙って殴られていれば、今以上に事態が悪くことはない。多分。
しばらくの間だけ、心を無にして耐えていればいいのだ。そう自分に言い聞かせ、なるべく、深く考えないようにしている。
「伸くん、待っていたよ」
迎え入れてくれる行彦の笑顔につられて、伸も、ぎこちなく笑う。腕を取られて奥まで進み、今日はもう、ためらうことなく、行彦と並んでベッドに腰を下ろした。
「あの……」
伸が口を開くと、行彦が、問いかけるようにこちらを見る。伸は、思い切って後を続けた。
「今日は、えぇと、君の話も聞かせてほしいと思って」
「僕の?」
「うん」
聞きたいことはいろいろある。不思議に思うことも。彼のことは、まだ何ひとつ知らないのだ。
行彦は、視線を外しながら言った。
「面白い話なんて、何もないけれど……」
「別に、面白い話が聞きたいわけじゃないよ。ただ、その、君のことを知りたいと思って」
「僕の、こと?」
伸は、うなずいた。再び、伸の顔に視線を戻した行彦に、まじまじと見つめられ、顔が熱くなるのを感じる。
行彦は、前に向き直りながら話し始めた。
「昨日は、伸くんの話を聞いて、とても驚いたよ。だって、僕と同じだったから。
僕も、学校でいじめられていたんだ。僕にも、お父さんがいなかったし。
でも僕は、伸くんと違って、学校に行けなくなってしまった。それに、怖くて、この部屋から出られなくなって……」
そこで、大きくため息をついてから、泣き笑いのような表情で伸を見る。
「伸くんは、えらいね。ひどいことをされても、逃げずに学校に行って」
「えらくなんかないけど……」
そのとき、行彦が、伸の手を取って裏返した。
「これ、どうしたの?」
手のひらに貼った絆創膏に、わずかに血が滲んでいる。
「いや、なんでもないよ」
植物園で松園たちにやられたとき、転んで、砂利の上に手を着いて、石の尖った部分で切ったのだ。
「もしかして、そいつらにやられたの?」
答えずにいると、行彦が、伸の手をそっと両手で包み込んだ。思わず声が出る。
「あっ……」
「かわいそう。痛いでしょう?」
ひんやりとした行彦の手の感触が心地よく、痛みが和らいでいく気がする。
「いや。大丈夫だよ。でも……」
言いかけて、あわてて口をつぐむ。もう少し、そのままにしていてほしいなんて思った自分が恥ずかしい。
心の声が伝わるはずもないが、行彦は、小さくうなずくようにしてから、そのまま伸の手を、自分の膝の上に持って行った。
たいしたことを話した覚えはなかったが、いつの間にか時間が過ぎていた。夜明けを前に、今日も指切りをして、行彦の部屋を出る。
なんだか物足りない。もう少し話していたかった。いや、話らしい話もしていないけれど、もう少し、行彦と一緒にいたいと思った。
今まで長い間、ずっと一人で過ごして来たから、こんなふうに、誰かとじっくり話をしたり、優しい言葉をかけてもらったこともなかった。
行彦も、自分と同じ経験をしていると聞いて、彼が、とても身近になったように感じた。彼とならば、深くわかり合える気がする。
行彦と過ごす時間は、とても心地いい。
なんとか踏みとどまって振り返ると、左右に子分を従えた松園が、冷たい目で見ていた。伸を突き飛ばした本人らしい古川が言った。
「何ボケっとしてんだよ」
滋田が続ける。
「あーあ、俺たちをシカトしたお仕置きをしなくちゃね」
にらみつけた伸に、松園が、吐き捨てるように言った。
「売女のガキが、ナメてんじゃねぇぞ」
この町は、山間部にあり、美しい自然に囲まれているものの、声高に観光地と言うには若干はばかられるような、なんとも中途半端な町だ。一応、観光スポットのような場所はあるものの、人は多くない。
そんな施設の一つが、少し山道を登ったところから、さらに遊歩道を奥に入った先にある植物園だ。洋館へ続く道の途中にあるのだが、土地特有の植物や、大きな目玉があるわけでもなく、いつも人気がなくて、一応、売店や自動販売機はあるものの、とても収益を上げているようには見えない。
松園は、そこを、伸を人知れずいたぶる場所に選んだのだった。
毎回のこのこついて行くのは馬鹿らしいと思うが、母に迷惑をかけたくないし、絶対に誰にも知られたくない。自分さえ黙って殴られていれば、今以上に事態が悪くことはない。多分。
しばらくの間だけ、心を無にして耐えていればいいのだ。そう自分に言い聞かせ、なるべく、深く考えないようにしている。
「伸くん、待っていたよ」
迎え入れてくれる行彦の笑顔につられて、伸も、ぎこちなく笑う。腕を取られて奥まで進み、今日はもう、ためらうことなく、行彦と並んでベッドに腰を下ろした。
「あの……」
伸が口を開くと、行彦が、問いかけるようにこちらを見る。伸は、思い切って後を続けた。
「今日は、えぇと、君の話も聞かせてほしいと思って」
「僕の?」
「うん」
聞きたいことはいろいろある。不思議に思うことも。彼のことは、まだ何ひとつ知らないのだ。
行彦は、視線を外しながら言った。
「面白い話なんて、何もないけれど……」
「別に、面白い話が聞きたいわけじゃないよ。ただ、その、君のことを知りたいと思って」
「僕の、こと?」
伸は、うなずいた。再び、伸の顔に視線を戻した行彦に、まじまじと見つめられ、顔が熱くなるのを感じる。
行彦は、前に向き直りながら話し始めた。
「昨日は、伸くんの話を聞いて、とても驚いたよ。だって、僕と同じだったから。
僕も、学校でいじめられていたんだ。僕にも、お父さんがいなかったし。
でも僕は、伸くんと違って、学校に行けなくなってしまった。それに、怖くて、この部屋から出られなくなって……」
そこで、大きくため息をついてから、泣き笑いのような表情で伸を見る。
「伸くんは、えらいね。ひどいことをされても、逃げずに学校に行って」
「えらくなんかないけど……」
そのとき、行彦が、伸の手を取って裏返した。
「これ、どうしたの?」
手のひらに貼った絆創膏に、わずかに血が滲んでいる。
「いや、なんでもないよ」
植物園で松園たちにやられたとき、転んで、砂利の上に手を着いて、石の尖った部分で切ったのだ。
「もしかして、そいつらにやられたの?」
答えずにいると、行彦が、伸の手をそっと両手で包み込んだ。思わず声が出る。
「あっ……」
「かわいそう。痛いでしょう?」
ひんやりとした行彦の手の感触が心地よく、痛みが和らいでいく気がする。
「いや。大丈夫だよ。でも……」
言いかけて、あわてて口をつぐむ。もう少し、そのままにしていてほしいなんて思った自分が恥ずかしい。
心の声が伝わるはずもないが、行彦は、小さくうなずくようにしてから、そのまま伸の手を、自分の膝の上に持って行った。
たいしたことを話した覚えはなかったが、いつの間にか時間が過ぎていた。夜明けを前に、今日も指切りをして、行彦の部屋を出る。
なんだか物足りない。もう少し話していたかった。いや、話らしい話もしていないけれど、もう少し、行彦と一緒にいたいと思った。
今まで長い間、ずっと一人で過ごして来たから、こんなふうに、誰かとじっくり話をしたり、優しい言葉をかけてもらったこともなかった。
行彦も、自分と同じ経験をしていると聞いて、彼が、とても身近になったように感じた。彼とならば、深くわかり合える気がする。
行彦と過ごす時間は、とても心地いい。