第12話 更衣室

文字数 1,571文字

 物音に振り向いたのは、クラスメイトの佐賀だった。長身で運動神経がよく、確か、何かの運動部に所属しているはずだが、今日は休みなのだろうか。
 そう思いながら近づいて行く行彦を、佐賀は、じっと見ている。ふと見ると、その手に持ってくるくると回しているのは、行彦の万年筆だ。
「あ……」
 思わず声を上げると、佐賀が、手を止めて言った。
「これ、お前のか?」

「うん」
 答えながら、受け取ろうと手を伸ばすと、佐賀は、すっと手を引いた。そして、じっと行彦の目を見ながら言う。
「返してほしいか?」
「うん……」
 佐賀が、行彦の目を見たまま言った。
「俺の言うことを聞いたら返してやる」
「え?」
 意味がわからず、行彦も、佐賀の三白眼を見つめ返す。
 
「そこに立てよ」
 佐賀は、教室の後ろの壁を指さした。そして、立ち尽くしている行彦を急かす。
「いいから、そこに立て」
 早く万年筆を返してほしかったので、行彦は、渋々壁の前に立った。佐賀は立ち上がり、こちらに近づいて来ながら言う。
「お前、男が好きなのか?」
「……え?」
「お前、オカマなんだろ?」
 オカマというのが、厳密には、何を指すのかわからないが、それは、周りが勝手に言っているだけだ。
 
 憮然としていると、行彦の前に立ちはだかった佐賀が、さらに言う。
「女みたいな顔して、なよなよしてるもんな」
「そんなこと……」
 好きでそうなったわけではない。だが、行彦を見下ろしながら、佐賀が、にやりと笑った。
「そんなに男が好きなら、キスぐらいしてやってもいいぜ。そうしたら、返してやる」
 そして、行彦の鼻先に万年筆を突きつける。
 何をふざけたことを。そう思う間にも、佐賀の顔が近づいて来る。
 
「嫌だ!」
 唇が重なる寸前、行彦は、思い切り佐賀を突き飛ばした。不意を突かれた佐賀は、たたらを踏んで、二歩三歩と後ろに下がる。
「てめぇ……」
 さっきまで薄笑いを浮かべていた佐賀が、憎悪にぎらついた目で行彦をにらみつける。
 
 佐賀は、万年筆を床に投げ捨て、行彦のすぐ横の壁を、ドンと力任せに叩いた。恐怖のあまり、ぎゅっと目をつぶりながら身をすくめる。
「いい気になってんじゃねぇぞ」
 佐賀は捨て台詞を残して、足音を響かせながら教室を出て行った。膝が、がくがくと震え、腰が抜けたようになって、行彦は、壁に背を預けたまま、床まで、ずるずると滑り落ちた。
 
 
 次の日の体育の授業の前に、それは始まった。いつものように、更衣室の隅で、こそこそと着替えていると、一人の男子が言った。
「おいオカマ」
 行彦は無視する。すると、佐賀が言った。
「桐原、お前だよ」
 桐原というのが行彦の苗字だ。
「お前、男に体を売っているらしいな」
 思わず振り向くと、佐賀が、にやにやしながらこちらを見ている。周りの男子たちが、口々に言う。マジかよ。キモい。
 
「そんなこと……」
「あの洋館に、夜な夜な客を引き入れて、男とやって金を稼いでるって、もっぱらの噂だぜ」
「そんなこと、嘘だ!」
 怒りに体が震える。そんなことをするはずがないし、事実無根なのだから、噂にだってなっているはずがない。
 そんなこと、誰も信じるはずが……。そう思いながら見回すが、更衣室にいる男子たちは、みな下卑た笑いを浮かべて行彦を見ている。
 
 一人の男子が言った。
「俺、桐原とならやってもいいかな」
 周りが、はやし立てる。問題発言。カミングアウト? ほかの誰かが言う。
「マジかよ。お前、そっちの趣味?」
「だってこいつ、女みたいじゃん」
「まぁな。オッパイはないけど」
 どっと笑いが起こる。ほかの誰かが、行彦に向かって言った。
「お前、ホントに男なの? アレ、ちゃんとついてんのかよ」
 さらに大きな笑いが起こる。
「ちょっと見せてみろよ」
 誰かが行彦の下着を引き下ろそうとする。行彦は、体をよじりながら叫んだ。
「やめろ!」
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