第6話 めまい
文字数 1,529文字
「伸くん?」
いつの間にかぼーっとしていた伸は、名前を呼ばれて我に返る。行彦が、くすりと笑う。
「聞いてなかった?」
「えぇと……ごめん」
行彦は、笑顔のまま言う。
「昨夜は、どうしてここに来たの? って聞いたんだよ」
「それは……」
行彦は、じっと伸の顔を見つめている。
「あいつらに、呼び出されて」
「あいつらって?」
気がつくと伸は、行彦にうながされるまま、昨夜、この部屋に来るに至ったいきさつを、すべて話していた。それだけにとどまらず、いじめに遭っていることから、母が女手一つでカフェを営んでいることまで。
「ひどいね」
話を聞いた行彦は、怒りを滲ませた。口調とは裏腹に、その表情は悲しげだ。伸は、あえて明るく言った。
「でも、話してすっきりしたよ。今まで、誰にも言ったことがなかったから」
こんな話が出来る相手はいないし、誰かに話そうとか、話したいと思ったこともない。ずっと、誰にも知られたくないと思っていたから。
そう、ほんの何分か前までは。
そのとき、膝の上に置いた手に、行彦が手のひらを重ねた。はっとして目をやる。さらっとしてひんやりとしたその手と指は、女の子のように、白くほっそりとしている。
頬の辺りに視線を感じたが、体が固まったようになって動けない。不意に、心臓が激しく脈打ち始める。
行彦が、耳元に顔を寄せて囁いた。
「僕でよかったら、なんでも話して。伸くんのこと、もっと知りたい」
甘い香りに包まれ、伸は、軽いめまいを覚える。
「ねぇ、明日も来てくれる?」
伸の二の腕に手を添えた行彦が、顔をのぞき込むようにして問いかける。いつの間にか、夜明けが近づいているようだ。
「うん……」
「本当に?」
「本当に」
「よかった。また話を聞かせて」
行彦は、きれいな歯並びをのぞかせて、うれしそうに笑いながら、昨夜と同じように小指を差し出した。
洋館を出ると、すでに空が白み始めていた。それほど長い時間を過ごしたという感覚はなかったが、ときどき、ぼんやりしていたせいかもしれない。
行彦の甘い香りと、独特の雰囲気に当てられたようになってしまった。行彦は、とても不思議だ。
儚げで、どこか浮世離れしていて、少年のような、少女のような、そのどちらでもないような……。
家に戻り、パジャマに着替えてベッドに入ったが、一向に眠気は訪れない。横向きに体を丸めて、枕に顔をうずめながら、さっきまでのことを考える。
行彦って、本当に不思議だ。透き通るような白い肌で、人形のようにきれいな顔をして、あんなところに一人で住んでいて。
いや、聞くのを忘れてしまったけれど、他の部屋に家族がいるに違いない。あんなところに少年が一人で住んでいるなんて、あり得ない。
それにしても、あんなふうに自分のことを話したのは初めてだ。誰かに興味を持って話を聞いてもらったことも。
行彦は、「また話を聞かせて」と言っていたっけ。また話したい。今度は、彼の話も聞きたい。
明日、いや、今夜日付が変わる頃に、また洋館に行くのだ。そう約束したから。
伸は、枕の角をぎゅっと握りしめる。早く夜になればいい……。
学校に行っても、ずっと行彦のことが頭から離れない。考えるよりも先に、彼の姿が脳裏に浮かんで来る。
潤んだ瞳、赤く柔らかそうな唇、手の感触、そして、なんとも言えない甘い香り……。早く彼に会いたくて仕方がない。
ふと、まるで恋してしまったみたいだと思い、かっと体が熱くなった。誰が見ているわけでもないのに、いたたまれないような気持ちになって、わしゃわしゃと髪をかき回す。
いや、別にそんなんじゃない。ただ話がしたいだけだ。そう自分に言い聞かせながら、いつしか思いは洋館へと飛んでいる。
いつの間にかぼーっとしていた伸は、名前を呼ばれて我に返る。行彦が、くすりと笑う。
「聞いてなかった?」
「えぇと……ごめん」
行彦は、笑顔のまま言う。
「昨夜は、どうしてここに来たの? って聞いたんだよ」
「それは……」
行彦は、じっと伸の顔を見つめている。
「あいつらに、呼び出されて」
「あいつらって?」
気がつくと伸は、行彦にうながされるまま、昨夜、この部屋に来るに至ったいきさつを、すべて話していた。それだけにとどまらず、いじめに遭っていることから、母が女手一つでカフェを営んでいることまで。
「ひどいね」
話を聞いた行彦は、怒りを滲ませた。口調とは裏腹に、その表情は悲しげだ。伸は、あえて明るく言った。
「でも、話してすっきりしたよ。今まで、誰にも言ったことがなかったから」
こんな話が出来る相手はいないし、誰かに話そうとか、話したいと思ったこともない。ずっと、誰にも知られたくないと思っていたから。
そう、ほんの何分か前までは。
そのとき、膝の上に置いた手に、行彦が手のひらを重ねた。はっとして目をやる。さらっとしてひんやりとしたその手と指は、女の子のように、白くほっそりとしている。
頬の辺りに視線を感じたが、体が固まったようになって動けない。不意に、心臓が激しく脈打ち始める。
行彦が、耳元に顔を寄せて囁いた。
「僕でよかったら、なんでも話して。伸くんのこと、もっと知りたい」
甘い香りに包まれ、伸は、軽いめまいを覚える。
「ねぇ、明日も来てくれる?」
伸の二の腕に手を添えた行彦が、顔をのぞき込むようにして問いかける。いつの間にか、夜明けが近づいているようだ。
「うん……」
「本当に?」
「本当に」
「よかった。また話を聞かせて」
行彦は、きれいな歯並びをのぞかせて、うれしそうに笑いながら、昨夜と同じように小指を差し出した。
洋館を出ると、すでに空が白み始めていた。それほど長い時間を過ごしたという感覚はなかったが、ときどき、ぼんやりしていたせいかもしれない。
行彦の甘い香りと、独特の雰囲気に当てられたようになってしまった。行彦は、とても不思議だ。
儚げで、どこか浮世離れしていて、少年のような、少女のような、そのどちらでもないような……。
家に戻り、パジャマに着替えてベッドに入ったが、一向に眠気は訪れない。横向きに体を丸めて、枕に顔をうずめながら、さっきまでのことを考える。
行彦って、本当に不思議だ。透き通るような白い肌で、人形のようにきれいな顔をして、あんなところに一人で住んでいて。
いや、聞くのを忘れてしまったけれど、他の部屋に家族がいるに違いない。あんなところに少年が一人で住んでいるなんて、あり得ない。
それにしても、あんなふうに自分のことを話したのは初めてだ。誰かに興味を持って話を聞いてもらったことも。
行彦は、「また話を聞かせて」と言っていたっけ。また話したい。今度は、彼の話も聞きたい。
明日、いや、今夜日付が変わる頃に、また洋館に行くのだ。そう約束したから。
伸は、枕の角をぎゅっと握りしめる。早く夜になればいい……。
学校に行っても、ずっと行彦のことが頭から離れない。考えるよりも先に、彼の姿が脳裏に浮かんで来る。
潤んだ瞳、赤く柔らかそうな唇、手の感触、そして、なんとも言えない甘い香り……。早く彼に会いたくて仕方がない。
ふと、まるで恋してしまったみたいだと思い、かっと体が熱くなった。誰が見ているわけでもないのに、いたたまれないような気持ちになって、わしゃわしゃと髪をかき回す。
いや、別にそんなんじゃない。ただ話がしたいだけだ。そう自分に言い聞かせながら、いつしか思いは洋館へと飛んでいる。