第57話 怒涛

文字数 1,076文字

 伸は、動揺を隠して尋ねる。
「お母さんは、なんて言っていた?」
「明日、くわしい話を聞かせてって」
「そうか……。でも、なんて言うつもり?」
 まさか、前世で幽霊のときに会ったなどと言うわけにはいかないだろう。たとえ、それが紛れもない事実だとしても。
 彼は、伸の腕を取り、肩の上に頭を預けて言った。
「アルバイトの申し込みに行って、緊張して具合が悪くなったときに優しく介抱してくれて、それで好きになったっていうのはどう? あながち嘘でもないでしょう?」
「介抱はしていないけど……」

 彼が笑う。
「伸くんは真面目だな。細かいところはいいんだよ。さすがに本当のことは言えないもん」
 そのへんは、わきまえているのだなと思う。だが、ふと気がついて言った。
「明日は学校があるんじゃないの?」
「うん」
「じゃあ、早く起きて、学校に間に合うように帰らないと」
「そうだね。こんなことなら、制服を持って来るんだったなぁ。そうすれば、直接学校に行けたのに」
 真面目なのか不真面目なのか、よくわからないが、ちゃんと学校に行く気はあるらしい。
 
 伸は、年上らしく言った。
「早くシャワーを浴びておいで。パジャマ代わりに、何か着替えを用意しておくから」
 彼が、伸の腕をぎゅっと抱きしめながら、甘えるように言った。
「一緒にシャワー浴びたいな。でも、やっぱり、ちょっと恥ずかしいかな……」
 すでにもう、ずいぶんと恥ずかしいことをしているが、一緒にシャワーを浴びるのは、また別の恥ずかしさがあるかもしれない。それは、伸にも、なんとなくわかる気がする。
 
 
 後からシャワーを浴びて、パジャマに着替えて部屋に入って行くと、伸のTシャツとハーフパンツを身に着けた彼は、寝息を立てて、ぐっすり眠っていた。伸は、そのあどけない寝顔を見下ろしながら、わずか半日ほどの間に起こった怒涛のような出来事を思い返す。
 話す相手もいないが、いったい誰が、こんな話を信じるだろう。伸自身も、未だ夢を見ているようで、とても現実に起こったことだとは思えない。
 だが、実際に、行彦の生まれ変わりである彼は、こうして目の前にいて、先ほどまで、激しくお互いの体を貪り合っていたのだ。
 
 今日の午前中まで、自分は、従業員に「主任」と呼ばれるだけで、誰からも下の名前で呼ばれることのない、孤独な中年男だったのに……。
 灯りを消し、彼の横に、そっと体を滑り込ませたが、なかなか眠りは訪れなかった。
 翌朝早く、朝が苦手らしい彼を苦労して起こし、なんとかトーストを食べさせた。タクシーを呼んで乗せ、見送った後、部屋に戻ると、どっと疲れが出た。
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