第22話 「お願い」

文字数 1,097文字

 それは、控えめに言っても、虫の良すぎる話だった。はっきり言ってしまえば、無神経極まりない。
 両親の反対を押し切って子供を産んだものの、体調とともに精神のバランスを崩し、現在、入院中なのだという。それで、しばらくの間、子供を預かってほしいと言うのだ。
 そんな勝手な話は聞いたことがない。引き受ける義務などない。だが、次の一言に、響子の心は揺れた。
「とにかく、照彦さんの赤ちゃんを見に来てくださいよ。パパにそっくりなんです」
 
 
 薄暗い病室のベッドで、志保は、胸に乳児を抱いていた。普段は、その子の世話をしているという、志保の母親の姿は見当たらない。
 志保は、響子が想像していた以上に痩せていて、憔悴しているように見える。あまり重く受け止めていなかったのだが、体調と精神のバランスを崩しているというのは、嘘ではないらしい。
 
「抱いてやってください」
 志保が、腕を伸ばしてこちらに差し出すので、半ば仕方なく、その子を受け取る。小さく頼りなく見えるけれど、それなりに重みがあり、とても温かい。
 正直なところ、生まれて間もない乳児が、照彦に似ているのかどうか、響子にはわからなかった。ただ、この子に照彦の血が流れているのだと思うと、胸を締めつけられる。
 私が愛した照彦は、もういないのだ。この子が自分が産んだ子であったなら、どんなによかっただろう……。
 
 
 中絶すると嘘をついて子供を産んだことを、両親はひどく怒っている。一日も早く養子に出すように言われているが、とてもそんな気にはなれない。
 だが、自分はこんな状態で、子供の面倒を見ることが出来ない。頼れるのは響子しかいない。
 せめて自分が退院し、仕事を見つけるまでの間、この子を預かってもらえないだろうか。志保の「お願い」とは、そういうことだった。
 
 納得は出来ない。自分が恋人を奪った相手に、その子供を押しつけるなんて、正気の沙汰とは思えない。。
 ほかに頼る相手がいないのというのは本当かもしれないが、もしも自分が断っても、子供は養子に出され、新しい両親のもとで暮らすことになるだけだ。志保に育てることが出来ないのだから、それもやむを得ないだろう。
 でも、そうなったら、二度とこの子とは……。それに、自分の判断一つで、この子の運命が変わってしまうかもしれないのだ。
 
 揺れ動く気持ちを隠して、響子は言った。
「こんな重大なこと、即答は出来ないわ。一度、帰って、よく考えてみたいの。返事をするのは、それからでもいい?」
 志保の顔に笑みが広がる。
「もちろんです。いいお返事を待ってます。よかったね、ボクちゃん」
 志保は、乳児の頬に、ちゅっとキスをした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み