第25話 ホテル

文字数 1,004文字

 放課後、伸は、この町にたった一つあるホテルにやって来た。今、洋館の持ち主である女性が滞在しているということを、クラスの女子たちの噂話を耳にして知ったのだ。
 どういう事情があるのか知らないが、持ち主は、行彦の母とは別にいるらしい。
 くわしいことはわからない。行彦に何を聞いても、ただ泣きじゃくるばかりで要領を得ないのだ。
 
 わかっているのは、洋館が取り壊されれば、行彦は、簡単には会えないような遠方に引っ越さなければならないらしいということだけだ。 
 伸だって、出来ることならば行彦と離れたくない。だが、洋館や行彦たちを取り巻く状況が今一つわからないので、それならば、直接、持ち主に聞いてみようと思ったのだった。
 だが、勢いにまかせて来てみたものの、出だしから、つまずいた。
 
 
「あの……」
 フロントマンに声をかけたものの、後の言葉が続かない。そもそも伸は、女性の顔どころか、名前さえ知らないのだ。
「いかがなさいましたか?」
 銀縁の眼鏡をかけたフロントマンが、柔らかな笑顔を浮かべて、伸の顔を見る。
「えぇと、あの、町の再開発の件で滞在されている、洋館の持ち主の……」
「はぁ。お約束ですか?」
 名前を言ってくれないかと思うが、個人情報の保護のためか、それ以上、彼は何も言わない。
「いえ……」

 やはり無謀だったかとあきらめかけたとき、フロントマンが、伸の背後に目をやった。そして、手で示しながら言う。
「あちらに」
 振り向くと、エレベーターのドアが開いて、中年女性が出て来たところだ。個人情報は教えられないが、自分自身でなんとかするなら、かまわないということか。
 伸は、フロントマンにぺこりと頭を下げると、女性に駆け寄りながら声をかけた。
「すいません」

 短めの髪を栗色に染めた、都会的な雰囲気の女性は、振り向くと、かすかに笑みを浮かべながら、問いかけるように伸の顔を見た。
「あの、安藤伸といいます」
「安藤伸くん? 私に何かご用?」
 はきはきとしたしゃべり方と笑顔に助けられ、伸は言葉を続ける。
「山の洋館の持ち主の方ですよね。今度、取り壊される予定の」
「えぇ、そうよ」
「そのことで、お話が……」

 突然、不躾に話しかけた見知らぬ高校生に、笑顔で丁寧に接してくれるだけでもありがたいが、さらに彼女は言った。
「今、ティールームにコーヒーを飲みに行くところなの。よかったら付き合ってくださる?
 そこでお話しましょう」
「はい」
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