第80話 欲望

文字数 1,184文字

 有希は、満足そうなため息をついてから、さらに言う。
「話は、これで終わりじゃないよ。
 つまり、行彦は思いを遂げて、僕の中から去って行った。残っているのは、西原有希だけ。
 西原有希は、前世も、過去の出来事も全部知った上で、なおも伸くんのことが好きで、ずっと一緒にいたいと思っている。
 ねぇ、何か問題ある?」
 
「……え?」
 伸は圧倒されて、ただ、有希の美しい顔を見つめる。まだ十代の高校生である彼は、なんと賢く、理路整然と話すのだろうと思う。
「問題?」
 一方、いい年をした自分は、まともな答えを返すことも出来ないでいる。
「だから」
 有希は、まるで小さな子供に対するように、ゆっくりと言った。
「僕ともう一度、恋人同士になってもらえませんか?」

「あ……」
 不意に胸が熱くなり、涙が込み上げる。駄目だ。有希の前で無様な……。
「伸くんは、行彦込みの僕じゃないと愛せないの?」
「そんなことは、ない」
 今も行彦のことを愛しているが、それ以上に、真っ直ぐな気持ちを自分に向けてくれる、無邪気で大胆な有希のことを、とても愛しいと思っている。
「でも俺は、多分この先もずっと、行彦のことを忘れられないと思う。それでもいいのか?」

 有希は、優しい眼差しで伸を見ている。
「いいよ。行彦あっての僕だし、行彦がいなかったら、多分、伸くんと出会うことも、愛し合うこともなかったんだから。
 ……本当は、ちょっぴり複雑だけどね」
「有希……」
 みっともないと思ったが、こらえきれず、涙がこぼれてしまった。あわてて涙をぬぐう伸を見て、有希が言った。
「伸くん、かわいい」
「馬鹿……」
 まったく、子供のくせに、俺より何枚も上手だ。いや、俺が、だらしないだけか……。
 
 有希が、椅子から立ち上がり、伸のそばまで来た。
「伸くん」
 前にもこんなことが。そう思いながら、伸も立ち上がる。有希が、伸を見上げながら言った。
「伸くんに、お願いがあるんだけど」
「何?」
「僕は、伸くんとキスしたことも、愛し合ったことも、全部忘れちゃった。だから、もう一度、教えて」

 ほんのりと上気した顔と、少しだけ開いた赤い唇が、たまらなく色っぽい。
「相変わらず積極的だな」
「そう?」
 有希は、なんでもないことのように言う。
「初めて会った日に、この部屋に来た君は、いきなり俺にキスをして、俺をベッドに誘って……」
「伸くんは嫌だったの?」
「いや。そんなことはないけど……」
「けど?」
「こんな若い子と、そんなことしていいのかって。でも……」

 欲望にあらがえなくなって、伸は、有希の肩に手を置き、その唇を塞いだ。有希は、自らその柔らかい唇を開いて、伸の舌を受け入れる。
 もう、ためらいの気持ちは消えていた。あぁ。唇も、舌も、頬の内側も、なんて柔らかくて甘いんだ。
 全神経を集中して、伸はそれらを、髪の香りを、制服の下の細い体の感触を確かめるように味わう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み