第69話 シャツとチノパンツ

文字数 984文字

 夕方になって、沙也加から電話がかかって来た。何か困ったことでもあったのかと心配したが、それは、伸が予想したこととは、少し違っていた。
「主任、あの子がまた来ているんですけど」
「あの子って?」
「あの西原っていう、高校生の男の子ですよ」
 本当は、聞く前からわかっていたが、やはり有希のことだ。
 
「……それで、なんだって?」
「主任に会いたいって言うから、今日は病欠ですって言ったら、主任の住所を教えてほしいって言うんです。さすがに、それはまずいですよね」
「そうだね。それに、今は実家にいるんだ」
「そうなんですか。じゃあ、彼には、うまく言っておきます。主任、お体の具合はいかがですか?」
「うん。明日には、なんとか行けそうだよ」
「よかった。ここだけの話ですけど、中本さんだけじゃ、なんだか頼りなくて……」
「面倒をかけて悪いね」
「いいえ。お大事になさってください」


 電話を切って、枕に頭を戻す。参った。そう簡単には、あきらめてくれないか。なぜそんなに、俺なんかにこだわるんだ……。
 そろそろ、中本や沙也加も、不審に思い始めていることだろう。いくらなんでも、有希は、二人の関係を彼らに話したりしないだろうが、絶対ないとは言い切れない。
 そんなことを思いながら、いつの間にかうとうとしていたのだが、突然、母の声に起こされた。
「伸。ちょっと起きてくれる?」

 見ると、母が部屋の入り口に立ってこちらを見ている。
「起こしてごめんね」
「いや……」
 ぼんやりと母に視線を注いでいたが、母の次の言葉で、一気に目が覚めた。
「お店に、西原さんっていう男の子が来ているんだけど。あなたに会えないかって」
 あわてて起き上がると、かすかにめまいがしたが、かまわず言う。
「わかった。今、下りて行くよ」

 まったく、なんてやつなんだ。パジャマを脱ぎ捨て、病院に行くときに着ていたシャツとチノパンツに着替える。
 階段を下りて、店舗に続くドアを開けると、カウンター席に座っていた有希が立ち上がった。テーブル席には、主婦らしい二人連れがいて、食事をしながら談笑している。
 伸は、不安そうな顔でこちらを見ている有希のそばまで行く。母も、不思議そうに様子をうかがっている。
 
 伸は、ドアを指して言った。
「奥で話そう」
 それから、母に向かって言う。
「いいよね」
「もちろん。どうぞごゆっくり」
 母は、有希に向かって笑いかけた。
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