第5話 約束
文字数 1,492文字
怪談話なんかではなかった。なんのことはない。人が住んでいるのだから、夜になれば灯りが点くのは当然だ。
ほとんど廃墟の様相を呈している一階部分を見ているので、三階に人が住んでいるということに違和感を覚えはしたが、何か事情があるのだろう。
行彦がいた部屋は、清潔で居心地がよさそうだったし、ほかの部屋には家族もいるのではないか。
ずっと一人ぼっちだと言っていたが、伸はそれを、友達がいないという意味だと受け取った。それならば、伸だって同じだ。
松園たちには、行彦のことは話さなかった。そんなことを話さなければならない義理はないし、いつまでも勝手に幽霊がいると思っていればいい。
彼らにしてみれば、伸が恐怖のあまり三階の部屋までたどり着けず、みっともなく許しを請うことを期待していたのだろうが、思惑が外れて拍子抜けしたようだった。
「もう帰ろうぜ」
松園が、つまらなそうに言ったのを機に、伸が三階の角部屋まで行ったことには、なんの言及もないまま、彼らは洋館を去って行った。
約束した通り、次の日の夜も、同じ時間に洋館に向かった。すっぽかそうという気持ちにはならなかった。
母は、いつもカフェの仕事で疲れて、夜はぐっすり眠っているので、そっと抜け出せば気づかれる心配はない。
今日は、押入れの防災セットの中に入っていた懐中電灯を持って来た。昨夜と同じように、塀の石積みの一部が崩れ、鉄製の棒が一本外れている場所から敷地内に入る。
昨日の夜はずいぶん緊張していたのだが、三階のあの部屋で行彦が待っているのだと思うと、ほとんど不安は感じない。それにしても、建物内に誰でも入れる状態だし、一階は荒れ放題だ。
こんなところに住み続けるのは剣呑ではないのか。せめて玄関回りだけでも直し、施錠したほうがいいのでは……。
二度目なので、迷いなく、スムーズに三階まで上がることが出来た。懐中電灯で足元を照らしながら、廊下を突き当りまで歩く。
ドアをノックすると、すぐにドアが開いて、嬉しそうに微笑む行彦が立っていた。昨日と同じ香りが鼻先をくすぐる。
「来てくれたんだね。さぁ、入って」
今日もパジャマ姿の行彦は、伸の腕を取って、部屋の中へといざなう。
「ここに座って」
行彦がベッドに腰かけ、伸の顔を見ながら、すぐ横を指す。なんだか気恥ずかしいが、そんなことを気にするほうがおかしいのだと自分に言い聞かせ、伸は、少し間を開けて腰を下ろした。
「来てくれなかったら、どうしようかと思った」
至近距離から潤んだ目で見つめられ、どきりとする。
「約束したから」
動揺している自分が嫌で、つい、ぶっきらぼうな口調になってしまった。
そんなことは気にならないらしい行彦は、うっとりとしたように言う。
「昨夜、突然ドアが開いたときは、びっくりしたけど、でも、うれしかった。来てくれたのが伸くんで。
ずっと一人ぼっちで寂しかったんだ。誰かと話したかった。うぅん、話さなくてもいいから、誰かにそばにいてほしかった」
伸はただ、黙って聞いていることしか出来ない。だが、一人ぼっちの寂しさならば、自分も嫌というほど知っている。
うつむいた行彦が、それきり黙り込んでしまったので、間が持たなくなって、伸は口を開いた。
「あの……」
そのとたん、顔を上げた行彦に再び見つめられ、伸は、どぎまぎしながら言った。
「塀の壊れたところ、直したほうがいいんじゃないかな。それに玄関も、直して鍵をつけたほうが……」
赤い唇が、花びらのように開く。
「そうだね」
伸は、そこから視線を外すことが出来ない。
「……えぇと、物騒だから」
「そうだね」
ほとんど廃墟の様相を呈している一階部分を見ているので、三階に人が住んでいるということに違和感を覚えはしたが、何か事情があるのだろう。
行彦がいた部屋は、清潔で居心地がよさそうだったし、ほかの部屋には家族もいるのではないか。
ずっと一人ぼっちだと言っていたが、伸はそれを、友達がいないという意味だと受け取った。それならば、伸だって同じだ。
松園たちには、行彦のことは話さなかった。そんなことを話さなければならない義理はないし、いつまでも勝手に幽霊がいると思っていればいい。
彼らにしてみれば、伸が恐怖のあまり三階の部屋までたどり着けず、みっともなく許しを請うことを期待していたのだろうが、思惑が外れて拍子抜けしたようだった。
「もう帰ろうぜ」
松園が、つまらなそうに言ったのを機に、伸が三階の角部屋まで行ったことには、なんの言及もないまま、彼らは洋館を去って行った。
約束した通り、次の日の夜も、同じ時間に洋館に向かった。すっぽかそうという気持ちにはならなかった。
母は、いつもカフェの仕事で疲れて、夜はぐっすり眠っているので、そっと抜け出せば気づかれる心配はない。
今日は、押入れの防災セットの中に入っていた懐中電灯を持って来た。昨夜と同じように、塀の石積みの一部が崩れ、鉄製の棒が一本外れている場所から敷地内に入る。
昨日の夜はずいぶん緊張していたのだが、三階のあの部屋で行彦が待っているのだと思うと、ほとんど不安は感じない。それにしても、建物内に誰でも入れる状態だし、一階は荒れ放題だ。
こんなところに住み続けるのは剣呑ではないのか。せめて玄関回りだけでも直し、施錠したほうがいいのでは……。
二度目なので、迷いなく、スムーズに三階まで上がることが出来た。懐中電灯で足元を照らしながら、廊下を突き当りまで歩く。
ドアをノックすると、すぐにドアが開いて、嬉しそうに微笑む行彦が立っていた。昨日と同じ香りが鼻先をくすぐる。
「来てくれたんだね。さぁ、入って」
今日もパジャマ姿の行彦は、伸の腕を取って、部屋の中へといざなう。
「ここに座って」
行彦がベッドに腰かけ、伸の顔を見ながら、すぐ横を指す。なんだか気恥ずかしいが、そんなことを気にするほうがおかしいのだと自分に言い聞かせ、伸は、少し間を開けて腰を下ろした。
「来てくれなかったら、どうしようかと思った」
至近距離から潤んだ目で見つめられ、どきりとする。
「約束したから」
動揺している自分が嫌で、つい、ぶっきらぼうな口調になってしまった。
そんなことは気にならないらしい行彦は、うっとりとしたように言う。
「昨夜、突然ドアが開いたときは、びっくりしたけど、でも、うれしかった。来てくれたのが伸くんで。
ずっと一人ぼっちで寂しかったんだ。誰かと話したかった。うぅん、話さなくてもいいから、誰かにそばにいてほしかった」
伸はただ、黙って聞いていることしか出来ない。だが、一人ぼっちの寂しさならば、自分も嫌というほど知っている。
うつむいた行彦が、それきり黙り込んでしまったので、間が持たなくなって、伸は口を開いた。
「あの……」
そのとたん、顔を上げた行彦に再び見つめられ、伸は、どぎまぎしながら言った。
「塀の壊れたところ、直したほうがいいんじゃないかな。それに玄関も、直して鍵をつけたほうが……」
赤い唇が、花びらのように開く。
「そうだね」
伸は、そこから視線を外すことが出来ない。
「……えぇと、物騒だから」
「そうだね」