第56話 ママ

文字数 1,415文字

 そうやって裸のまま抱き合っていると、再び妖しい気分になって来る。だが伸は、ぐっとこらえて言った。
「時間は大丈夫?」
「大丈夫だよ」
 彼は、時計を見もせずに言うが、すでに日付が変わっている。
「でも、お母さんが心配する」
「ママは、まだ帰っていないよ。ナイトクラブを経営しているから」
「そうなのか。何時頃に帰って来るの?」
「明け方くらいかな」

 伸は、彼の背中に置いていた腕を外して起き上がる。
「タクシーを呼ぶよ。今日のところは、もう帰ったほうがいい」
 彼は、横たわったまま、白けたように伸を見上げる。すべてをさらけ出した華奢な体がなまめかしいが、今は、あえて目をそらす。
 彼の目が、何か言いたげだが、わざとはぐらかして言った。
「帰る前に、シャワー浴びる?」
 だが彼は、勢いよく起き上がると、伸に抱きついて来た。
 
「おい……」
 無下に振り払うことも出来ず、戸惑っている伸を抱きしめたまま、彼は、事もなげに言った。
「今夜は、ここに泊まる」
「駄目だよ!」
「どうして?」
「お母さんが帰って来たとき、行、いや、君がいなかったら心配するだろ」
「じゃあ、今からママに電話するよ」
「えっ?」

 状況が飲み込めずにいるうちに、彼は、ベッドの下に脱ぎ捨てた服の中から、スマートフォンを拾い上げて、何度かタップした後、耳に当てた。
「おい、ちょっと」
 伸を無視して、彼は、裸のままベッドに腰かける。
「……あ、ママ? 急にごめん。今日は、よそに泊まるよ。……うん? 恋人の家だよ。……うん、そう。……うん、わかった。……じゃあね」
 電話を切り、体をひねって伸の顔を見た彼は、にっこり笑って言った。
「これでいいでしょう?」

「いいのか? あんなこと言って」 
「あんなことって?」
 そう言いながら、両足をベッドの上に引き上げて、再び、伸の横にぴたりと寄り添う。
「だから、恋人の家に泊まるなんて……」
「いいんだよ。ママはいつも、恋人が出来たら教えなさいって言っていた。でも僕は、一度も恋をしたことがなかったから、今日、やっと報告することが出来てうれしい」
「だけど、いきなり泊るとか、それに……」
 相手は男で、しかも親子と言ってもいいくらい年が離れているのだ。
 
「ママは、僕のことを信じてくれているし、いつも、あなたが本気で好きになった人なら、ママは何も言わないから、責任を持って付き合いなさいって言っているよ」
「でも、多分こういうことは想定していないんじゃないかな。まさか、かわいい息子の恋人が、おじさんだとは……」
「伸くんは、おじさんじゃないったら。それに、ママのお店にはトランスジェンダーの人もいるし、友達にゲイバーのママもいるし、ママは、そういうことは気にしないよ」

 果たしてそうだろうか。他人のことはよくても、自分の息子のことになったら、また別なのではないか。
 シングルマザーの伸の母でさえ、近頃では、恋人の存在や結婚について、さりげなく探りを入れて来るのだ。おそらく伸には、普通に結婚をして、子供の親になってほしいと思っているのだろう。
 
 そして、あっけらかんと話す彼を見ているうちに、わかったことがある。彼が、行彦の生まれ変わりであることは間違いないと思うが、それと同時に、彼の中には、当たり前に、有希としての経験や記憶がある。
 つまり、行彦としての記憶がよみがえったことによって、一つの体の中に、二つの人格が存在することになったのだ。封印を解いたのは、伸だ。
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