第73話 閉園時間

文字数 1,044文字

 乱暴に目元をこすりながら、有希は続ける。
「僕は、伸くんとのことを全部忘れちゃったけど、病院から戻って来てからずっと、伸くんのことを考えていた。本当に、いろんなことを……。
 そうしたら、過去のことはわからないけど、今の僕も、やっぱり伸くんのことが好きになったみたいなんだ。伸くんのことが頭から離れない。
 だけど、伸くんは、僕とはもう付き合えないって。その理由を、ちゃんと教えてもらわないと、僕は……」
 言いながら、また涙がこぼれ落ちる。
 
 あぁ、なんてことだ。なんだって、こんな冴えない中年男に執着するんだ。有希ならば、相手は、ほかにいくらでもいるだろうに。
 だが、本当の理由を話すわけにはいかない。あんな荒唐無稽としか思えない話をしても、今の彼が信じるわけがないし、とても納得するとは思えない。
 何よりも、このまま記憶が戻らないのであれば、有希のためにも、何も知らないほうがいいと思うのだ。それで伸は、苦し紛れに言った。
「理由は簡単だ。もう、君のことが好きじゃなくなったんだよ」

「あぁ……」
 有希の口から、悲しげな声が漏れる。かわいそうに。有希を傷つけてしまった。
 伸の心に、一抹の寂しさがよぎる。これで本当に終わってしまった。もう二度と、彼の滑らかな頬に触れることも出来ない……。
 だが、さらに有希は言いつのった。
「だから、その理由を教えてくれなくちゃ、僕は納得出来ないよ。伸くんを、諦められない!」
 有希が悲痛な声を上げたとき、パーク内に、閉園時間を告げるアナウンスが流れ始めた。
 
 有希は、ベンチに腰かけたまま、両手で顔を覆って泣いている。どうすることも出来ず、伸はただ、横に座り続ける。
 やがて、巡回中の警備員に声をかけられた。
「お客さん、閉園時間ですよ」
「あっ、すいません。ほら、行こう」
 伸は、有希の両肩に手をかけて立ち上がらせた。
 
 
 出口に向かって歩いて行くと、まばらながら、これから家路に着こうとしている人たちがいた。泣いている有希に気づき、ちらちらと見ている人もいる。
 さて、どうしたものか。伸は頭を悩ませる。
 泣き続けている有希を、置き去りにして帰るわけにはいかない。かと言って、どこかの店に入るのも気が進まない。
 あぁ。せっかく二人きりにならない場所で話をして、そのまま、さらりと別れるはずだったのに。
 
 フォレストランドの外に出ても、有希は、まだ泣き止まない。 
 仕方がない。伸は、ため息をついてから言った。
「俺の部屋に来る?」
 有希が、涙に濡れた顔を上げた。
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