第56話 <15ガッオ
文字数 2,312文字
猫実ヌコはシン・ナカヤマ競馬場のウマ用湯舟につかりながら、ぶつぶつと言っている。
「えのきママ。母松月院。ダメだ。どうもしっくりこない」
戦闘吸血鬼となった猫実ヌコが係累母の松月院えのきから貰ったものといえば、その気性の荒さだけだった。
ついでに宿狼だったころの容姿が残ったままで、らしい外見もほとんどない。
松月院えのき特有の悪食も、全然違う。
並外れた戦闘力は受け継いではいるが、それは戦闘吸血鬼だからだ。
「ラダーとかって特殊技があるはずなんだけど」
松月院えのきは壁系とかいう何やらいかがわしげなラダーを持っていた。
猫実ヌコも発動しているのを見たことはないのだが、噂ではめっちゃすごい技という。
「引き継いじゃ、いないよな」
湯の中で、
「なんかこう、手から出たりするのかな」
右手をにぎにぎしてみたけれども一向に変化はないのだった。
猫実ヌコは湯舟から出ると、
「邪魔したな。また来るから」
と近くで珍しそうに見ていたサラブレッドたちの鼻面を撫でててから、厩舎の間を歩き去って行った。
ここは毎月一度は来る、猫実ヌコお気に入りの湯舟で、他の銭湯のように潰したりはしないのだ。
そして場外のフミオ・ミルクスタンドでリンゴジュースを飲んで帰るのが毎度のコースだった。
「リンゴジュース、ごちそうさま」
代金をきちんと払って猫実ヌコは店を出る。
それを見送ったのは、店内上部のメニュー看板に顔が隠れるほどの巨大な店員だった。
いつもなら小柄な初老の男が店番をしているのだったが、今日に限ってがたいの大きなのがキツキツの白衣を着て店番をしていた。
「もしもし、くるみん? 今、ヌコが帰って行ったよ。うん。そう。じゃあ、マツノ湯で」
弁天ナナミ。猫実ヌコ監視中であった。
少し前。
「帰ったよ」
マツノ湯に久しぶりに響いた声があった。
それはここで生まれて巣立って行った京藤くるみ、本名猫実くるみ。
猫実サキの双子の娘の一人だった。
最初に応対に出た弁天ナナミは十数年ぶりに見る乳母子を眩しく思った。
見ただけで、すごく強くなったのが分かったからだ。
弁天ナナミにとってはどうしたって猫実サキが最強最恐だ。
それでも弁天ナナミが見てきた戦闘吸血鬼のなかではくるみは抜きん出て力が漲って見えた。
「くるみん、お帰りなさい」
年を取ってすこし小さくなった巨大な弁天ナナミは、くるみのことをその腕で抱きしめた。
「いたいっての。相変わらず馬鹿力だな」
くるみは鋼のようなナナミの腕をのけると、
「じーさんいるかい?」
とマツノ湯の番台神、猫実文男の所在を尋ねたのだった。
しかし、
「いるけれども……」
と言いよどむ弁天ナナミである。
というのも、くるみの祖父猫実文男は、すでに脳内天国のお花畑で遊ぶ妖精になっていたからだった。
「じーさん、帰ったよ。くるみだ」
「おー、帰ったか。海は楽しかったか? 泳ぎは覚えたか? クラゲに刺されなかったか? おーい誰か。娘のサキのためにお湯を沸かしておくれでないか?」
と、こういう風なのだった。
猫実文男の脳内に存在できるのは、おそらく少女のころの猫実サキだけなのだろう。
「しかたないな。直接ヌコに談判するか。ナナミ。ちょっと頼まれてくれ」
と言って仰せつかったのが即ち、猫実ヌコの監視だったのだ。
くるみもいきなり出会ってドッカーンというのは避けたかった。
負けることなど一分も考えていないが、戦闘吸血鬼がぶつかり合えば半径5kmが吹っ飛ぶこともあるのだ。
ここでそんなことがあれば、マツノ湯はおろか旧ウラヤスが壊滅しかねない。
そうなれば、マツノ湯に依存して生きる者たちを路頭に迷わすことにもなる。
猫実文男、弁天ナナミ、それと富岡ツルだった。
富岡ツルは、もう足腰が立たなくなっていて、ずっと奥の間の寝室に寝そべったままだ。
ただ金勘定だけは未だに現役で、弁天ナナミが動画を作らなくなってからのやりくりは富岡ツルの役目だった。
「ツルさん。帰った」
奥の間のツルのもとにくるみが挨拶に寄る。
「あ、くるみちゃん。よく来たね。あんたまひるちゃんとケンカしてるんだって」
すでに第二湾岸計画道路の戦いは耳にはいっているらしかった。
「いいや」
「そうかい。言いたくないならいいが、仲良くしないとお母さんが悲しがるよ」
とここでも猫実サキは富岡ツルの胸の中に生き生きと存在し続けているのだった。
こういう感じだったな。
くるみはここにいた頃のざわざわ感を思いだしていた。
JKになる前から、くるみはこの絶対的なママの存在が煙たくて仕方なかった。
だから居心地は最高なのに、JKになった途端このマツノ湯を飛び出したのだった。
まあ、よくある母娘の葛藤ってやつだ。
くるみは富岡ツルの部屋を出てると、
「面白くもない」
空に昇った月を見上げ吐き捨てるように言ったのだった。
くるみはふたたび番台のところまで戻ってくるとナナミに
「ちょっと脱衣場で寝てるから、猫実ヌコに変化があったら知らせてくれ」
と番台を抜けて脱衣所に入ると3脚あるベンチを並べ、その上に寝転がったのだった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
戦闘吸血鬼に自分から望んでなった猫実ヌコ。
最強最恐の大本吸血鬼の元に生まれてしまった京藤くるみ。
二人のママに対する想いの違いを今回はさらっと書いてみました。
次回、二人はおそらく激突するでしょう。
くるみのラダーが炸裂するかもです。
次週の公開も水曜19時です。
今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。
真毒丸タケル
「えのきママ。母松月院。ダメだ。どうもしっくりこない」
戦闘吸血鬼となった猫実ヌコが係累母の松月院えのきから貰ったものといえば、その気性の荒さだけだった。
ついでに宿狼だったころの容姿が残ったままで、らしい外見もほとんどない。
松月院えのき特有の悪食も、全然違う。
並外れた戦闘力は受け継いではいるが、それは戦闘吸血鬼だからだ。
「ラダーとかって特殊技があるはずなんだけど」
松月院えのきは壁系とかいう何やらいかがわしげなラダーを持っていた。
猫実ヌコも発動しているのを見たことはないのだが、噂ではめっちゃすごい技という。
「引き継いじゃ、いないよな」
湯の中で、
「なんかこう、手から出たりするのかな」
右手をにぎにぎしてみたけれども一向に変化はないのだった。
猫実ヌコは湯舟から出ると、
「邪魔したな。また来るから」
と近くで珍しそうに見ていたサラブレッドたちの鼻面を撫でててから、厩舎の間を歩き去って行った。
ここは毎月一度は来る、猫実ヌコお気に入りの湯舟で、他の銭湯のように潰したりはしないのだ。
そして場外のフミオ・ミルクスタンドでリンゴジュースを飲んで帰るのが毎度のコースだった。
「リンゴジュース、ごちそうさま」
代金をきちんと払って猫実ヌコは店を出る。
それを見送ったのは、店内上部のメニュー看板に顔が隠れるほどの巨大な店員だった。
いつもなら小柄な初老の男が店番をしているのだったが、今日に限ってがたいの大きなのがキツキツの白衣を着て店番をしていた。
「もしもし、くるみん? 今、ヌコが帰って行ったよ。うん。そう。じゃあ、マツノ湯で」
弁天ナナミ。猫実ヌコ監視中であった。
少し前。
「帰ったよ」
マツノ湯に久しぶりに響いた声があった。
それはここで生まれて巣立って行った京藤くるみ、本名猫実くるみ。
猫実サキの双子の娘の一人だった。
最初に応対に出た弁天ナナミは十数年ぶりに見る乳母子を眩しく思った。
見ただけで、すごく強くなったのが分かったからだ。
弁天ナナミにとってはどうしたって猫実サキが最強最恐だ。
それでも弁天ナナミが見てきた戦闘吸血鬼のなかではくるみは抜きん出て力が漲って見えた。
「くるみん、お帰りなさい」
年を取ってすこし小さくなった巨大な弁天ナナミは、くるみのことをその腕で抱きしめた。
「いたいっての。相変わらず馬鹿力だな」
くるみは鋼のようなナナミの腕をのけると、
「じーさんいるかい?」
とマツノ湯の番台神、猫実文男の所在を尋ねたのだった。
しかし、
「いるけれども……」
と言いよどむ弁天ナナミである。
というのも、くるみの祖父猫実文男は、すでに脳内天国のお花畑で遊ぶ妖精になっていたからだった。
「じーさん、帰ったよ。くるみだ」
「おー、帰ったか。海は楽しかったか? 泳ぎは覚えたか? クラゲに刺されなかったか? おーい誰か。娘のサキのためにお湯を沸かしておくれでないか?」
と、こういう風なのだった。
猫実文男の脳内に存在できるのは、おそらく少女のころの猫実サキだけなのだろう。
「しかたないな。直接ヌコに談判するか。ナナミ。ちょっと頼まれてくれ」
と言って仰せつかったのが即ち、猫実ヌコの監視だったのだ。
くるみもいきなり出会ってドッカーンというのは避けたかった。
負けることなど一分も考えていないが、戦闘吸血鬼がぶつかり合えば半径5kmが吹っ飛ぶこともあるのだ。
ここでそんなことがあれば、マツノ湯はおろか旧ウラヤスが壊滅しかねない。
そうなれば、マツノ湯に依存して生きる者たちを路頭に迷わすことにもなる。
猫実文男、弁天ナナミ、それと富岡ツルだった。
富岡ツルは、もう足腰が立たなくなっていて、ずっと奥の間の寝室に寝そべったままだ。
ただ金勘定だけは未だに現役で、弁天ナナミが動画を作らなくなってからのやりくりは富岡ツルの役目だった。
「ツルさん。帰った」
奥の間のツルのもとにくるみが挨拶に寄る。
「あ、くるみちゃん。よく来たね。あんたまひるちゃんとケンカしてるんだって」
すでに第二湾岸計画道路の戦いは耳にはいっているらしかった。
「いいや」
「そうかい。言いたくないならいいが、仲良くしないとお母さんが悲しがるよ」
とここでも猫実サキは富岡ツルの胸の中に生き生きと存在し続けているのだった。
こういう感じだったな。
くるみはここにいた頃のざわざわ感を思いだしていた。
JKになる前から、くるみはこの絶対的なママの存在が煙たくて仕方なかった。
だから居心地は最高なのに、JKになった途端このマツノ湯を飛び出したのだった。
まあ、よくある母娘の葛藤ってやつだ。
くるみは富岡ツルの部屋を出てると、
「面白くもない」
空に昇った月を見上げ吐き捨てるように言ったのだった。
くるみはふたたび番台のところまで戻ってくるとナナミに
「ちょっと脱衣場で寝てるから、猫実ヌコに変化があったら知らせてくれ」
と番台を抜けて脱衣所に入ると3脚あるベンチを並べ、その上に寝転がったのだった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
戦闘吸血鬼に自分から望んでなった猫実ヌコ。
最強最恐の大本吸血鬼の元に生まれてしまった京藤くるみ。
二人のママに対する想いの違いを今回はさらっと書いてみました。
次回、二人はおそらく激突するでしょう。
くるみのラダーが炸裂するかもです。
次週の公開も水曜19時です。
今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。
真毒丸タケル