第8話 <4ガ、ガオ
文字数 3,034文字
くるみは喫煙所で電子タバコをふかしながら、少し離れたところから人のPを覗き込んでくる海斗を、不可思議な生き物のように感じていた。
たまに、わざと膝を高くしてPを見えやすくしてやると、目をまん丸くして体勢を低くするし、足を逆に組むと知らぬ風で、見えやすそうなところにそそくさと移動する。
くるみのPが見えたとて、海斗のいる位置からならほんのちょっと、画素数でいえば5ピクセルもないだろう。
5ピクセルだ。白い光の粒が5つ。それのどこにエロさがあるのか。
しかし、高校生男子にとってはその5ピクセルこそが、富士山頂のご来光のごときものなのだが、
くるみにはそれはまったく理解できない感覚なのだった。
高校に来る時のくるみはカツラをかぶり、眼鏡をして、地味目の紺のセーラー服を着てくることにしている。
わざわざ吸血鬼の自分を表に出して、人間たちの営みを邪魔するつもりはないからだ。
だが、変装しているつもりなどはない。
「しかし、この程度の変化で分からんものかね。ガオくんは」
くるみのPを覗くたび、眼鏡の中をチラ見して来るのに、まったく自分と気づいてない様子なのが可笑しかった。
そうこうしているうちに、海斗は未練を思いっきりその場に残した様子で立ち去った。
「なんなの? あいつ」
予鈴が鳴った。教室に戻らねばならない。
次の授業は大嫌いな古典の授業。
なんで今さら滅んだ言語を学ばねばならないのか、理解に苦しむ。
担当の小野先生に理由を聞いたら、
「それは京藤くん、きみの将来の旦那さんが古語しか話せなかった時のためだよ」
ないない。
教室棟の入り口まで歩いていると、湿った風がくるみの髪をなでた。
その中に嫌な匂いが混じっている。
甘ったるいが、底に汚泥がこびりついたような匂い。
やっぱりあいつらが近くに来ている。
くるみは竹刀袋の上からデコ木刀の柄を強く握りしめた。
海斗は、いつの間にか下駄箱にもたれ掛かって寝てしまっていた。
眠いはずだ。昨晩はデコ木刀を仕上げるためにオールしたのだから。
デコ木刀の仕上がり具合をくるみに見て貰いたかったけれど、くるみはベッドで寝息を立てていたから、起こさずに出て来てまだ未承認のままだ。
剥がれず落ちやすい。
難題だったけれど、前任者の星形みいが施したスワロフスキを真似したら、案外うまく行きそうになった。
使用する溶剤も星形みいの「お道具入れ(デコ用)」のものを使えたから、仕上がりもきっと同じようになってくれるはずだ。
再び完璧なエフェクトを手にしたくるみが、海斗に向かって、
「シンデルカモ城にずっといていいぞ」
と言うのを想像して、ほくそ笑む海斗だった。
教室棟の方から人がワラワラとこちらに歩いて来るのが見えた。
夜間の授業が終わったらしい。
海斗はその人の流れの中にくるみを探したが見つけることはできなかった。
最後らしい派手めの化粧のOL風女子が生徒用玄関を出て行ったのを見送って、その後誰も来なさそうなのを確認し、自分も帰ることにする。
靴に履き替え校門に向かおうとしたとき、
「そうだ、忘れてた」
と踵を返し、裏門に向かう。
「用事が終わったら一人で来てくれ。裏門で待ってるから」
甘いあんずの香りを思い出したのだ。
校舎の裏に回ると潮の匂いがつよくなる。
裏門の街灯の下には誰もいなかった。
さてはおちょくられたかと思ったが、裏門を出てサカイ川の堤防に登って見渡すと下流の水門橋に人影があった。
海斗は水門のところまで小走りに行く。
欄干にもたれて水面を見下ろしているらしいその人影に向かって声を掛ける。
「尚弥!」
「おー、こっちだ」
イケボが返ってきた。
あんずの香りが急に辺りに広がったような気がした。
海斗は胸の動悸が激しくなったのを感じる。
走ったせいなのか、それとも先ほどの尚弥の突然の告白を思い出したからなのか。
海斗は尚弥の横に立つと、
「何見てたんだ? スズキでもいたか?」
と言った。汽水域のこのあたりでは多くスズキが上がるからだ。
海斗は言いながらスズキの白身の味を無理に思い浮かべようとした。
「いや、お前のことを考えてた」
流れ的にはそう来るだろう。
しかし、海斗はこちらから踏み出す勇気はなかったので、あえて別の話題をふったのだった。
実は海斗は男子からの告白は初めてではない。
その昔、まだ海斗が中学生のころ。
厳つい顔の友人の家に誘われて、二人で居間のソファーに座ってアニメを見ていたら、そいつが突然、海斗の肩に腕をまわしてきて言った。
「実は俺はお前のことを前から可愛いと思っていたんだ」
海斗のことをすごい力で抱き寄せて、ニキビ面の唇を突き出しキスを迫った。
海斗は怖くなって咄嗟にそいつを押しのけ、部屋の中を逃げ回った。
海斗はその場を冗談で納めたかった。
「おい、まてまて。冗談だろ」
「冗談ではない。今日お前を呼んだのはこのためだ」
たしかに、この男がアニメを観るなんて聞いたことがなかった。
そいつはさらに顔を真っ赤に膨らませ目を充血させ海斗に追いすがる。
海斗はそれを見て恐怖がいや増し、ついには窓から飛び出て裸足で逃げたのだった。
海斗はそのことで二の足を踏んでいるわけではないが、少なからずの影響はあるかもしれなかった。
「怖いのか?」
尚弥がそんな海斗の気持ちを見透かすようにして言った。
イケボが海斗の心の奥底に響いてくる。
「俺はどうすればいい?」
それが海斗の素直な気持ちだった。
「可愛いやつだな。海斗、俺に任せろ」
と言うなり尚弥が腕を海斗の腰に回して、グッと自分のほうに引き寄せた。
全身の力が抜けて、海斗は尚弥に身を任せる。
尚弥は海斗に胸を合わせると、もう一方の腕を背中に回してさらに海斗を自分の懐に誘い込む。
海斗の目の前に尚弥の赤い唇があった。
あんずの甘い香りが海斗を包んだ。
海斗の心臓が早鐘を打ち始める。
「心地いい音だね」
尚弥は海斗の心音に耳をそばだてていた。
「聞いてごらんよ、僕のこころの音」
ゴボゴボ。
海斗は言われるままに尚弥の心音を聞こうとした。
しかし、自分の心音が激しすぎるせいなのか尚弥の心音は聞えない。
「聞こえないよ。どうすればいい?」
「耳を澄ませるんだよ。自分の想いに沿って」
ゴボゴボ、ゴボゴボゴボ。
「だめだ、変な音が邪魔をして聞こえてこない」
「変な音?」
「そう、下水がつまったような」
ゴボ、ゴボゴボ、ゴボゴボゴボ。
「そうか、海斗には下水の音に聞こえるのか」
「ちがうよ、雑音のことだよ。水門の下の」
尚弥の腕の力が強くなったように海斗には感じた。
その力は段々と強くなってゆき、しまいにはベアハッグのように海斗をねじり上げてきた。
「痛い。痛いって。はなせよ!」
「離すか。せっかくの獲物」
その時ようやく、自分をねじり上げているのが尚弥とは似ても似つかぬ怪物だということに海斗は気づいたのだった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
くるみと海斗の間に横たわる溝。温度差。
幅の広い断崖が広がっているのがわかります。
でも、デコ木刀がその架け橋になってくれそうです。
海斗の魅力は中学生のころからのものだった。
ただしイカメン(厳つい男子)に限る。です。
もしよろしければ、☆お気に入りやファンレターを頂けますと毎日の励みになりうれしいです。
今後も『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくおねがいします。
真毒丸タケル
たまに、わざと膝を高くしてPを見えやすくしてやると、目をまん丸くして体勢を低くするし、足を逆に組むと知らぬ風で、見えやすそうなところにそそくさと移動する。
くるみのPが見えたとて、海斗のいる位置からならほんのちょっと、画素数でいえば5ピクセルもないだろう。
5ピクセルだ。白い光の粒が5つ。それのどこにエロさがあるのか。
しかし、高校生男子にとってはその5ピクセルこそが、富士山頂のご来光のごときものなのだが、
くるみにはそれはまったく理解できない感覚なのだった。
高校に来る時のくるみはカツラをかぶり、眼鏡をして、地味目の紺のセーラー服を着てくることにしている。
わざわざ吸血鬼の自分を表に出して、人間たちの営みを邪魔するつもりはないからだ。
だが、変装しているつもりなどはない。
「しかし、この程度の変化で分からんものかね。ガオくんは」
くるみのPを覗くたび、眼鏡の中をチラ見して来るのに、まったく自分と気づいてない様子なのが可笑しかった。
そうこうしているうちに、海斗は未練を思いっきりその場に残した様子で立ち去った。
「なんなの? あいつ」
予鈴が鳴った。教室に戻らねばならない。
次の授業は大嫌いな古典の授業。
なんで今さら滅んだ言語を学ばねばならないのか、理解に苦しむ。
担当の小野先生に理由を聞いたら、
「それは京藤くん、きみの将来の旦那さんが古語しか話せなかった時のためだよ」
ないない。
教室棟の入り口まで歩いていると、湿った風がくるみの髪をなでた。
その中に嫌な匂いが混じっている。
甘ったるいが、底に汚泥がこびりついたような匂い。
やっぱりあいつらが近くに来ている。
くるみは竹刀袋の上からデコ木刀の柄を強く握りしめた。
海斗は、いつの間にか下駄箱にもたれ掛かって寝てしまっていた。
眠いはずだ。昨晩はデコ木刀を仕上げるためにオールしたのだから。
デコ木刀の仕上がり具合をくるみに見て貰いたかったけれど、くるみはベッドで寝息を立てていたから、起こさずに出て来てまだ未承認のままだ。
剥がれず落ちやすい。
難題だったけれど、前任者の星形みいが施したスワロフスキを真似したら、案外うまく行きそうになった。
使用する溶剤も星形みいの「お道具入れ(デコ用)」のものを使えたから、仕上がりもきっと同じようになってくれるはずだ。
再び完璧なエフェクトを手にしたくるみが、海斗に向かって、
「シンデルカモ城にずっといていいぞ」
と言うのを想像して、ほくそ笑む海斗だった。
教室棟の方から人がワラワラとこちらに歩いて来るのが見えた。
夜間の授業が終わったらしい。
海斗はその人の流れの中にくるみを探したが見つけることはできなかった。
最後らしい派手めの化粧のOL風女子が生徒用玄関を出て行ったのを見送って、その後誰も来なさそうなのを確認し、自分も帰ることにする。
靴に履き替え校門に向かおうとしたとき、
「そうだ、忘れてた」
と踵を返し、裏門に向かう。
「用事が終わったら一人で来てくれ。裏門で待ってるから」
甘いあんずの香りを思い出したのだ。
校舎の裏に回ると潮の匂いがつよくなる。
裏門の街灯の下には誰もいなかった。
さてはおちょくられたかと思ったが、裏門を出てサカイ川の堤防に登って見渡すと下流の水門橋に人影があった。
海斗は水門のところまで小走りに行く。
欄干にもたれて水面を見下ろしているらしいその人影に向かって声を掛ける。
「尚弥!」
「おー、こっちだ」
イケボが返ってきた。
あんずの香りが急に辺りに広がったような気がした。
海斗は胸の動悸が激しくなったのを感じる。
走ったせいなのか、それとも先ほどの尚弥の突然の告白を思い出したからなのか。
海斗は尚弥の横に立つと、
「何見てたんだ? スズキでもいたか?」
と言った。汽水域のこのあたりでは多くスズキが上がるからだ。
海斗は言いながらスズキの白身の味を無理に思い浮かべようとした。
「いや、お前のことを考えてた」
流れ的にはそう来るだろう。
しかし、海斗はこちらから踏み出す勇気はなかったので、あえて別の話題をふったのだった。
実は海斗は男子からの告白は初めてではない。
その昔、まだ海斗が中学生のころ。
厳つい顔の友人の家に誘われて、二人で居間のソファーに座ってアニメを見ていたら、そいつが突然、海斗の肩に腕をまわしてきて言った。
「実は俺はお前のことを前から可愛いと思っていたんだ」
海斗のことをすごい力で抱き寄せて、ニキビ面の唇を突き出しキスを迫った。
海斗は怖くなって咄嗟にそいつを押しのけ、部屋の中を逃げ回った。
海斗はその場を冗談で納めたかった。
「おい、まてまて。冗談だろ」
「冗談ではない。今日お前を呼んだのはこのためだ」
たしかに、この男がアニメを観るなんて聞いたことがなかった。
そいつはさらに顔を真っ赤に膨らませ目を充血させ海斗に追いすがる。
海斗はそれを見て恐怖がいや増し、ついには窓から飛び出て裸足で逃げたのだった。
海斗はそのことで二の足を踏んでいるわけではないが、少なからずの影響はあるかもしれなかった。
「怖いのか?」
尚弥がそんな海斗の気持ちを見透かすようにして言った。
イケボが海斗の心の奥底に響いてくる。
「俺はどうすればいい?」
それが海斗の素直な気持ちだった。
「可愛いやつだな。海斗、俺に任せろ」
と言うなり尚弥が腕を海斗の腰に回して、グッと自分のほうに引き寄せた。
全身の力が抜けて、海斗は尚弥に身を任せる。
尚弥は海斗に胸を合わせると、もう一方の腕を背中に回してさらに海斗を自分の懐に誘い込む。
海斗の目の前に尚弥の赤い唇があった。
あんずの甘い香りが海斗を包んだ。
海斗の心臓が早鐘を打ち始める。
「心地いい音だね」
尚弥は海斗の心音に耳をそばだてていた。
「聞いてごらんよ、僕のこころの音」
ゴボゴボ。
海斗は言われるままに尚弥の心音を聞こうとした。
しかし、自分の心音が激しすぎるせいなのか尚弥の心音は聞えない。
「聞こえないよ。どうすればいい?」
「耳を澄ませるんだよ。自分の想いに沿って」
ゴボゴボ、ゴボゴボゴボ。
「だめだ、変な音が邪魔をして聞こえてこない」
「変な音?」
「そう、下水がつまったような」
ゴボ、ゴボゴボ、ゴボゴボゴボ。
「そうか、海斗には下水の音に聞こえるのか」
「ちがうよ、雑音のことだよ。水門の下の」
尚弥の腕の力が強くなったように海斗には感じた。
その力は段々と強くなってゆき、しまいにはベアハッグのように海斗をねじり上げてきた。
「痛い。痛いって。はなせよ!」
「離すか。せっかくの獲物」
その時ようやく、自分をねじり上げているのが尚弥とは似ても似つかぬ怪物だということに海斗は気づいたのだった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
くるみと海斗の間に横たわる溝。温度差。
幅の広い断崖が広がっているのがわかります。
でも、デコ木刀がその架け橋になってくれそうです。
海斗の魅力は中学生のころからのものだった。
ただしイカメン(厳つい男子)に限る。です。
もしよろしければ、☆お気に入りやファンレターを頂けますと毎日の励みになりうれしいです。
今後も『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくおねがいします。
真毒丸タケル