第52話 <11ガッオ

文字数 2,814文字

 佐々木海斗の母親は、ある意味ヒーローだった。

というのも、一時期世紀の被害者として各メディアで喧伝されたからだ。

 大災疫が始まる少し前。

この国にはテロルの嵐が吹き荒れていた。

国の機関、民間の大企業を初め、さまざまな場所でそれは起こった。

 ごく普通の日常に突然、爆音が轟き煙が上がったと思ったら、人々の悲鳴が町中に響き渡る。

テロルが雄叫びを上げて、その示威性を主張した瞬間だ。

サイレンと共に警察と消防が集結し、野次馬がスマフォ片手に爆心地を囲繞する。

メディアが死を拡散し、国民の感情を煽り立て、被害者の中からさらなる被害者を選り出して、さらし者にする。

そして、残された者たちは悲嘆の中でゆっくり崩壊して行くのだ。

 海斗の父は超一流企業、三峯工業のエリート社員だった。

ある晴れた昼休み。

海斗の父は同僚たちと一緒に昼食に出た。

「あ、ちょっとスマフォ忘れた。先に行ってて」

と同僚を先にやって自分だけ会社に戻った。

椅子に掛けておいた背広の胸ポケットからスマフォを取り出して、駆け足で同僚達が向かった洋食レストランに急ぐ。

エレベーターを降り、エントランスを走り抜け自動ドアが開いたとき、

海斗の父は光の中にいた。

海斗の父の記憶もおそらくそこまでだったはずだ。

なぜなら海斗の父の数メートル横の定款パネルが大爆発し、柱ごと体が消し飛んでしまったからだった。

三峯工業爆破事件。

テロルの季節を告げる最初の出来事だった。

 犯人について警察が入手したのは、情報のやりとりを狼煙で行う集団で、主犯が「狼」と名乗っているということだけだった。

未だ捕まっていない。

 それからの佐々木家は、メディアのいい鴨だった。

爆死したエリート社員の遺族は、うら若い妻と5歳を筆頭に3歳と1歳の3人の幼い子どもだったので、世の同情を集め、毎日のようにメディアが川沿いの社宅に押し寄せたのだ。

またその社宅が一流企業のものと思えないほどの旧式の家屋だったものだから、一層世間の好奇の視線にさらされた。

「一流ブラック企業の犠牲になった

エリート社員」

「逆境を生き抜く

エリート社員の幼妻」

エリート社員のけなげな子供達は何も分からず笑顔で挨拶」

しつこいように、落ちた

エリート社員の家族周辺に纏わり付いたのだった。

 当然のように海斗の母は心を病み、次第に生きる気力を失って行く。

それでも海斗は幼い弟たちの世話を手伝い、母親の労苦を少しでも和らげるために精一杯のお手伝いをした。

が、5歳である。

お手伝いが精一杯だった。

母親の精神崩壊に歯止めを掛けることは出来なかったのだった。

 ある夜のこと。

いつものように母親が寝ている海斗を優しい声で起こした。

そのころ海斗はおねしょをしたので、夜中のちょうどいい時間に母親に起こしてトイレに行かせてもらっていたのだった。

「海斗ちゃん、一人でおトイレ行けるわよね」

今日に限って、

「雅人がぐずってるから、一人で行ってきてちょうだい」

と言うだけだ。

いつもなら一緒についてきてくれるのに。

 海斗の家はショウワ時代に建てられた文化住宅なので、6畳と10畳の和室が中央にあってそれをぐるりと縁側が囲っていた。

その縁側の南西の端にトイレが設えられていて、海斗が寝ている6畳からは遠かった。

 5歳の海斗は夜は雨戸を閉じて暗くなる縁側をトイレまで歩くのはとても怖かった。

トイレはトイレで、窓も無い上に薄暗い裸電球だったから、母親にドアの前に立っていて貰わないと用が足せなかった。

でも、海斗は母親の言うことには逆らわない。

なぜなら、自分が心配を掛けたらきっと母親は壊れてしまうと思っていたから。

「はい、お母さん」

と気丈に返事をすると、海斗は一人でトイレに向かったのだった。

障子を開けた時、母親が優しい声で、

「おトイレのドアをきっと閉めるのですよ」

と言ったけれども、海斗はそんなことが一人の時に出来るとは思えなかった。

 縁側に出て初めて電気のスイッチに手が届かなかったことに気がついた。

海斗は出てきたばかりの障子を振り返ったけれど、もう後戻りはできなかった。

海斗は仕方なく真っ暗な縁側を歩き出す。

怖い怖い縁側をペタペタ足音をさせながら、5歳児の海斗が歩いて行く。

最初から目は暗闇に慣れていたので行く先は見えるけれど、それが一層恐怖を煽り立てた。

縁側には研究者でもあった父が残した大量の書籍が白い布を掛けられて置いてあった。

海斗が縁側を進む間に、その白い塊が怪物になって海斗を食べるんじゃないか。

そう思うと足が一歩も進まなくなった。

もうオシッコがもれそう。

となってようやく海斗はトイレに行き着く。

行き着いたものの、ここでも電気のスイッチが届かなかった。

今度はもう振り返る勇気も無い。

しかたなく、トイレの扉を開けて中に入った。

でもドアは開けっぱなしだ。

ここだけは母親の言いつけを守ることができなかった。

 海斗はパジャマのズボンを下ろし、グンゼパンツから、ちっさなカタツムリのようになったおチンチンを引っ張り出した。

「うーーーーーーん」

いくら絞りだそうとしても、出てこない時は出てこないもの。

尿意はあるのに言うことを聞いてくれないおちんちん。

そのカタツムリの先っちょをひっぱったり押したりしたが、やっぱり出てこない。

その時だ。

海斗は父親と同じ光の中にいた。

しかしそれは定款パネルではなく、母親と幼い弟たちがいる6畳間が爆発したせいだった。

自爆だった。

注目を集めたことで、都の歴史的建造物にも推挙され、あとは教育委員会の審議待ちであった、ショウワの文化住宅は、その爆発で木っ端みじん、灰燼と化した。

同時にその渦中にいた元エリート社員の遺族もまた、跡形も無く雨散霧消した。

 海斗は。

川の底にいた。

トイレの囲いごと吹っ飛ばされて目の前の川の中に沈んでいた。

ただ、その衝撃の大きさから海斗の体はトイレの壁に塗りたくるように飛び散ってしまっていた。

だが海斗は、父親のように消えてしまいはしなかった。

その粘菌のような細胞状態で生き続けたのだ。

そして粘菌状の海斗がもとの人形の体にもどるのには数十年の歳月が掛かったのだった。

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

今回は海斗の出自についてでした。

海斗の父親は大災疫前に吹き荒れたテロルの犠牲になった人でした。

そして母親の自爆によって海斗もまた、父のように粉みじんになったのですが、海斗は常人のように朽ち果てることはありませんでした。

オオカミは海斗が吸血鬼と同じ前世だと言っていたのを思い出します。

あれ?犯人って、狼、狼煙? 

宿狼のことでも言っているみたいです。



次週の公開も水曜19時です。

今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。

真毒丸タケル
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