第26話 <16ガオー

文字数 2,577文字

 海斗はカサイリンカイ水族館の大水槽の中からその圧倒的なガラスを見回していた。

真ん中に巨大な柱のあるこの水槽は、マグロの回遊用に作られたものだった。

今はマグロはおろか海水さえ入っていないまったくの空で、往事を思い起こせるのはそこはかとない海の匂いだけだった。

海斗は二人の吸血鬼にその中に押し込められた。

坂倉アイル、奥さんになってくれるかもと期待を寄せていたかわいい女子は凶暴な吸血鬼だった。

また、坂倉アイルと吸血鬼流の手荒い挨拶を交わした張能サヤというセーラー服女子も同じく吸血鬼だった。

 二人は戦闘を繰り広げていたかとおもったら、打ち解けた様子で海斗の前に現れて有無を言う間もなく海斗を水族館まで引っ張ってきた。

「この子、なんでか吸血鬼が寄ってくるんだよね」

「へー。どこがいいんだかな」

黒髪セーラー服姿の女子がその漆黒の瞳で海斗を見回し、次いですんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでから、

「くるみが飼い犬にしてるってのもわからん」

と言った。

「でも、そうでなかったらくるみが男なんて根城に引き込む?」

「星形みいか。でも、いなくなったってじゃん」

「そうなんだよ。代わりっていうのはちょっと違うと思ったから」

「で、飼い犬か」

と当の本人を前にして勝手な推測をしているのだった。

「あの、僕居候です。デコ木刀を修繕するのを条件に」

と海斗が言うと、張能サヤは、

「やっぱ飼い犬だな」

と納得してしまった。

で、今はこの大水槽に落とされて、

「あたしらが帰ってくるまで出ちゃだめだよ」

と坂倉アイルには念押しされ、

「出てもいいが、ヒトデナシがうろついてるかもだから」

と張能サヤには脅された。

実際は、カサイリンカイ公園にヒトデナシは寄り付かない。

サヤの縄張りだと知れ渡っているからだ。

そもそも、そんなものが出るなら人間はここに体を温め合いになど来ない。

安心して温め合えるから多くのカップルがここをめざすのだった。

つまり張能サヤは知らずにガーディアンの役割を立派にはたして来たということだ。

 海斗は大水槽の中にいて、二人が連れ立って水族館の建屋から出て行くのを見送った。

二人はこれからくるみを攻めるつもりだ。

いくらくるみが強いといっても、2対1では勝ち目は薄いだろう。

「どうにかしてくるみにこの事態を伝えなければ」

海斗はそう思うのだったが、携帯電話の電源はすでに切れていた。

最近いっぱいに充電しても数時間しかもたなくなった。

新しい機種に変えたいけれど海斗にはそんな余裕は無かった。

 しかし、ここは冷える。バイトが終わればすぐ帰るつもりだったから、防寒具のような外套は着てこなかった。

床がコンクリートのせいかもしれない。

何か暖がとれるものがないかと大水槽内を一周してみることにする。

マグロの骨や皮が残っていたら、それを薪にしよう。

待て、燃えるのか? 骨。

火葬したら残るのが骨だな。

じゃあ、皮に期待するしかないな。

なんてのんきなことを考えていたら、何か踏んだ。

むぎゅっという感触だった。

足下を見ると皮、しかも毛皮が落ちていた。

海斗は天の助けとそれをつかむと、

「ごえーーーーごえごえ!」

と喉の奥から押し出すような叫び声がして足下から何かが飛び出した。

どこかで聞き覚えのある声だ。

姿にも見覚えがあった。

ずんぐりとした体型、白黒二色の体毛、大きな鼻につぶらな瞳。

腰にはトロピカルな柄のパレオを巻いていた。

オオカミの所にいた頃、家事全般を教えてもらった

「マレーバクのおばさん」

宿狼だ。

「あら、ノラちゃん」

とマレーバクは素っ頓狂な声で驚いて見せた。

「おばさん、なんでこんなところに?」

「イボイノシシさんが水族館どうなったか見たいっていうから、代わりに」

海斗はその回答のおかしさについ笑ってしまった。

何故ならマレーバクはおっとりしているようで機転が利くのでオオカミが情報収集役に使うのを知っていたからだ。

「オオカミさんのところにイボイノシシなんていないじゃなですか。本当は何しに来たんです」

と言うと、マレーバクは鼻をブヒヒと鳴らして、

「あら、そうだったわね。本当は親方に頼まれて偵察に来たら捕まっちゃったの」

と答えたのだった。

海斗はその説明も怪しいものだと思ったが、そこは昔のよしみで深く掘り下げないことにした。

 海斗とマレーバクはしばらくの間、体を寄せ合い昔話をしながら寒さをしのいでいたが、

「寒いです!」

「寒いわよね!」

と言って二人して立ち上がった。

マレーバクも毛皮に包まれているとはいえ、元々南国仕様だから寒さには弱いのだった。

「なんとかして、ここから逃げませんか?」

「そうね。でもどうしたら」

「助けが呼べれば」

「そっか、なんだその手があったのね。あたしったら、どうやってもこのガラス割れないから諦めてたのよ」

「携帯があればいいんですけど、電源きれちゃてて」

「あら、携帯なんて使っちゃダメよ。何ためにあたしたち宿狼が狼煙使ってると思ってるの?」

と言うと花柄のパレオの裾をまくって、中から小さな木箱を取り出した。

「携帯狼煙セットーーーー」

海斗もそれには見覚えがあった。

大水槽の上を見上げると、天井は崩壊していてなくなっていて、満点の星が瞬いていた。

絶好の狼煙ポジションだ。

「おばさん、それ一回きりでしたっけ?」

「一回きりだよ。緊急SOS用だから」

「狼煙は一回一センテンスですもんね」

と海斗が残念そうに言うと、

「ほかに誰かに伝えたいことでもある?」 

と、マレーバクが聞いた。

 海斗はくるみがピンチになっていてそのことを伝えたいとマレーバクに説明した。

それを聞いたマレーバクが、

「任せて」

といって、狼煙の用意を始めた。

狼煙セットの火種をつけると、きれいな一本の煙が立ち上ってゆく。

大水槽に焦げ臭い匂いが充満して、海斗とマレーバクは涙目になった。

「うまく伝わるように」

海斗はそう祈るしかなかった。

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

海斗は大水槽にとらわれの身に。
ここにマレーバクも捕まっていました。

二人で脱走の相談をしていると、いいことを思いつきます。


今年も『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくおねがいします。

真毒丸タケル

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