第36話 <26ガオー

文字数 3,053文字

 息吹かのような重低音のノイズが足下の底のさらに底から響いていた。

ここはコンシェルジュAIのイージーに連れられてたどり着いた巨大な空洞の真ん中に浮かぶ舞台の上だった。

「どうして俺が梯子にならなきゃならないんです?」

ゆたかは聞いた。

イージーは舞台の中央にある操作盤を異常なスピードで操作し続けながら、

「もちろん、坂倉アイル(人間)様の自由意志ですが」

と前置きして、

「こちらからも行き来できるようにです」

と言った。

「行き来?」

ゆたかにはイージーが言っていることが全く分からなかった。

「そうです。これまではあちらから降りて来るだけでしたが、坂倉アイル(人間)様が人柱に、いえ人梯子になっていただくことでこちらも昇って行けるようになるかもしれません」

「かもしれない?」

「まだ実験段階ですので?」

モルモット的な?

ゆたかの表情が曇ったことを見たイージーが、

「坂倉アイル(人間)様がもし梯子になることをお引き受けくださったなら、あなた様はきっと未来永劫救世主として称えられることでしょう。どうです? 梯子になってみたくなったでしょう」

と付け加えた。

「救世主とかどうでもいいし。せっかく若返ったんだから第二の人生を始めたいんだけど」

アイルとのラーメン屋生活も悪くはなかったが、人間としてもう一度生き直すチャンスをもらったのだから、それを試してみたいと思うのは正常な精神だろう。

しかし、ここでゆたかは気づいてしまった。

「ひょっとして、リバース・エイジングしてくれたのって」

「はい。梯子になっていただくからです」

高額な施術をお礼などのためにしてくれるはずなどなかった。

イージーの説明はこうだ。

梯子とはこの底なしの空間へダイブすることで「向こう」に着くまで何年かかるか分からない。

その間に寿命が尽きてしまっては梯子の役目を果たさなくなるから若返ってもらった。

18歳に再設定したのは、人間の男子がちょうど将来を模索し自分の意志で独り立ちする年齢だから。

「どうして俺をわざわざ若返らせてまで? もとから若い人に頼んだらいいんじゃないです?」

ゆたかはそうは言ったものの、若者が自分の身代わりにされるのは本意でなかった。

海斗のことが頭にあったからかもしれない。

「もちろんそれも試しました。でも失敗しました。何かが足りなかったのです」

この暗黒の空洞に突き落とされた若者がすでにいたと思うと、ゆたかは言い知れない悲しみが沸いてきた。

「何か?」

その可哀想な若者になくてゆたかにあるもの。

ゆたかに思い当たるものなどなかった。

「経験値です」

「?」

ならばゆたかぐらいの老人を連れてくればいい。

「分かりませんか? 坂倉アイル(人間)様でなければならない理由が」

イージーのAIながら吸血鬼のその赤い瞳を見ているうち、ゆたかの脳裏にアイルと歩んだ日々がフラッシュバックした。

「アイルとの絆」

自分が他の老人と峻別されるとするならばそれだった。

「やっとお分かりいただけましたか? 坂倉アイル(人間)様は、吸血鬼、それも戦闘吸血鬼という特異な存在と半世紀という長きにわたって絆を保たれてこられました。それはとても希有な現象なのです」

しかし、それが梯子とどんな関係があるのか?

「この空洞を行き来するには吸血鬼かそれに準ずる属性が必要です。我々が昇るにはどうしてもそれが必要なのです」

「俺には吸血鬼の属性がある?」

「少なくとも坂倉アイル(人間)様は吸血鬼を引きつけて止まない何かがおありです」

「で、梯子になれと。ここにダイブしろと」

イージーは静かに頷いた。

それがあまりにも平然としていたのでゆたかは少し抵抗してみることにした。

「嫌だと言ったら」

それまでまっすぐにゆたかの目を見て語っていたイージーは、少しの間顔を伏せてから、

「先ほども申し上げましたが坂倉アイル(人間)様の自由意志ですので断ることもできます。しかし、貴方様はきっと梯子になることを選ばれます」

と今度は冷徹な目でゆたかを見返して言ったのだった。

「こちらをご覧ください」

イージーは操作盤を猛烈な勢いでタッチして、上空を振り仰いだのだった。

ゆたかがその視線を追って見上げると、それまで天の川が大きく映し出されていたところが、一枚また一枚と暗転してゆき、最後は見上げた大空いっぱいにひび割れたアスファルトの映像が映し出されたのだった。

「現場でーす。センター、映像行ってますか?」

巨大な上空の画面が大きく揺れて、それまで斜めにかしいで見えていた画面に水平が戻った。

「うぇ。気持ちわるい」

水平に戻るまでの揺れで、ゆたかは酔ってしまいそうになった。

映像には、水平のアスファルトが隆起して何か黒いものがそこから突き出している様子が映っていた。

「センターです。映像もう少し上にお願いします」

「了解です」

再び上空の大画面が揺れて、映像が動くとその黒いものにぶら下がるようにして項垂れている女子がいた。

すると、映像の見切れからウルトラマリンの瞳をした顔が出てきた。

夜野まひるだった。

「ゆたか。お前、ジェイコブスラダーって知ってるか? 雲の裂け目から太陽の光が差して天使が舞い降りてくるっていう。お前それになるんだ」

と言って項垂れた女子の顎を持ってカメラに顔を向けさせた。

ゆたかが予想した通り、それは坂倉アイルだった。

スポットに照らされて映し出された顔に生気なく、青白い肌色をしていた。

アイルの肌色は常に青白いけれども。

「アイルさん!?」

ゆたかはイージーに振り返って言った。

「そうです。坂倉アイル(戦闘吸血鬼)様です」

「どういうことです?」

「さあ、どういうことでしょう。吸血鬼のすることは私には理解できかねます」

そのとき、ゆたかはイージーがなんで自由意志にこだわるかが分かった。

それはAIだからだ。

AIはもともと人間が作ったもの。

人間に指図出来ないようにプログラムされている。

つまり人間であるゆたかに、

「梯子になりなさい」

と命令できないのだ。

しかし吸血鬼は人間でない。

そのため吸血鬼を使って人間の自分に言うことを聞かせようという、そういう魂胆なのだった。

実に回りくどいが目的はきっちりと果たされるだろう。

何故ならゆたかはアイルのことが今でも愛おしいからだ。

あたりまえだろう。

50年も連れ添った相方なのだ。

例え、若い男に目がくらんで自分から心変わりしたとしても、ゆたかにはアイルを見殺しにすることなどできるはずはなかった。

「俺が梯子になればアイルは助けてくれるのですね」

「どうでしょう? あの者たちのがすることですから」

そこ、肝心なところ!

取りあえず、確約取って貰うことにして、ゆたかは深淵へダイブする覚悟をしたのだった。

「服は脱いで行かれた方がいいかと」

理由はわからないがそういうことなので、身にそぐわなくなった服を脱いで準備した。

そのとき、らせん階段のほうから、

「連れてきました」

という声がした。

ゆたかが振り返ると、そこには受付の吸血鬼と、

「海斗くん!!」

が立っていたのだった。

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

ゆたかが梯子にされる理由は、半世紀におよぶアイルとの絆のせいでした。
その絆がゆたかをして深淵へのダイブへと赴かせるのです。

分からんか。愛だ、愛。by 釜爺


今年も『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくおねがいします。

真毒丸タケル
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