第44話 <3ガッオ
文字数 3,028文字
ウラヤス駅の裏通りを西にしばらく行くとサカイ川にぶつかる。
この辺りのサカイ川は川幅も狭く、混み入った家々の間を流れるほぼ用水路だ。
マツノ湯はそこに掛かる小さな橋のたもとに大災疫前からあった。
今では建屋も古くなって見る影もないが、昔は映画のロケに利用されたりもする、世に知られた銭湯だった。
その昔、アイドルグループが第二ワンガン計画道路で『星がまた来る夜に』のMVを撮影したあと、疲れた身体を癒し(ウ〇コまみれの体を洗い)に来た銭湯というのもこのマツノ湯だったと噂されている。
「パパただいま」
猫実ヌコが、そのマツノ湯の番台に座る老人に向かって言った。
そう呼びかけられながらも真っ直ぐ前を向いたまま、
「おお、サキ帰ったか。疲れたろう。早くお風呂に入りなさい」
と優しく言葉を返したのだった。
「うん。そうする」
猫実ヌコは、服は脱がずに脱衣所を抜け風呂場に入ると、そこに置かれたカセットデッキを再生する。
そして、湯が張られていない湯舟の中に入ると運動座りになった。
風呂場には、蛇口からお湯が迸る音、お湯をかぶる音、風呂桶がタイルにぶつかる音など、カセットの銭湯効果音が響いている。
「サキ。お湯の温度はどうだい?」
「うん。丁度いいよ。とってもいいお湯」
番台の老人はそれを聞いて、うんうんと頷いている。
しばらくの沈黙の後、老人が大きな声で、
「サキ。そう言えばミャーがな、清滝神社の社殿で日向ぼっこしてたらしいぞ」
ミャーというのは、老人の娘のサキが小学生の時に拾った茶トラの猫のことだった。
「ほんとうに? じゃあ、明日お仕事休みだから見に行ってくるよ」
「そうしておやり。きっと帰り道がわからなくなっいるのだから」
「そうだね。きっと」
と言ってから、
「迷うかよ、あんな近くで」
と老人には聞こえないような小声で言った。
実際に清滝神社はサカイ川のはす向こうにある。
しばらくすると、猫実ヌコは湯舟を出て銭湯効果音カセットを止め、そのまま番台に近づいて行った。
そしてまっすぐ前を見つめたままの老人の前で手をひらひらとさせると、
「パパ。あとはあたしがやるから、先に寝ていいよ」
と言った。
老人は体をビクッと震わせ、声がしたほうに顔を向けると、
「そうかい。疲れているのにすまないね」
そう言った老人はあらぬ方を向いていて、両の瞳も白濁していた。
老人はゆっくりとした動作で番台を降りると、小さな背中をさらに丸めて暖簾をくぐり外に出て行く。
この老人がマツノ湯の主人である。
目が見えなくなってずいぶん経つ。
そして記憶もあいまいになり、自分の家族などすでに存在しないことも忘れてしまっているのだった。
「そのミャーがあたしだっての」
猫実ヌコは老人が立ち去った番台に飛び乗って、座布団の上に丸くなると
「あったかい」
と目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし出したのだった。
くるみが如月ののかを連れてオオカミの所を訪ねたのは、ダジャレ事件の3日後だった。
「ダジャレじゃねーから」
3日の間ずっとこうで、オオカミのいるジャンクヤードに来るまでも、くるみはしつこく言い続けていた。
ののかもいいかげん面倒くさくなって、
「はいはい」
と受け流すと、今度はそのことが気に入らなかったらしく、オオカミの前に案内された時には不機嫌の極致になっていた。
「連れのあねさんよ。くるみはどうかしたのかい?」
一言もしゃべらずに腕組みをして憮然としているくるみを、オオカミが横目で見ながらののかに尋ねた。
「ちょっとあって」
ののかにはそれくらいしか返事のしようがなかった。
だって、たかがダジャレじゃん。
「そんなだから好きな女に逃げられるんだ」
ののかはそう言ってやりたかったが、言ったら今度こそ命がないので黙っていた。
変な空気が流れる中、オオカミの右腕のクイーン・ヌーが口を開いた。
「連絡では、猫実ヌコのことを聞きたいってことだったけど」
前世が猫の宿狼が、悪食で有名な大本の吸血鬼に捕食されて、体内で吸血鬼の因子と混ざり合って戦闘吸血鬼になったのが猫実ヌコだ。
そのためくるみは、猫実ヌコが宿狼であった頃のことを宿狼の首領であるオオカミに聞きに来たのだった。
オオカミは、
「あいつは昔はあんな凶暴な性格じゃなかったよ」
と言うと、部屋の隅でベビーバナナに房ごとかぶりついているマレーバクに向かって、
「ネコ呼んで来い」
と言った。
「え? あたし? あたしネコさんのことあまり知らないのよ。他の人に頼んで……」
などと挙動っていると、オオカミが眉根を吊り上げながら
「さっさと呼んで来い」
と言ったので、マレーバクはしぶしぶ立ち上がって出て行った。
黙して語らぬくるみを他所に、オオカミとクイーン・ヌーが先の第二ワンガン計画道路の戦いのことを語りだした。
ののかも身を乗り出してその話を聞いている。
この戦いのことは、近年まれに見る戦闘吸血鬼の戦いと、ネオワンガン地域はもとより、ネオカントー吸血鬼の語り草になっていた。
京藤くるみ。ネオワンガンの覇者筆頭候補にしてシンデルカモ城主。
張能サヤ。光爆ラダー使いでカサイリンカイ公園のガーディアン。
坂倉アイル。売り上げNo1のネオラーメンショップ第13高校前店女主人。
夜野まひる。くるみと実力伯仲らしい双子の姉のウルトラマリンブルーの戦慄。
アイルだけ強いのかどうか、いまいちわからないが…。
普通の吸血鬼が出合ったらこそこそと身を隠すしかない、二つ名持ちの4人が激突したのだから。
ののかは如何せん水の底にいて見逃したので、二人の話に夢中になるのも無理からぬことだった。
「で、あの張能サヤをぶっ飛ばしたってわけよ」
オオカミは自分が棒鉄塔をぶん回し、ヌーの大軍勢で踏みつぶし弾き飛ばして勝利したことを誇らしげに語るのだった。
一番の当事者なのに蚊帳の外にされているくるみが面白くないのは当たり前で、
「てか、それウチが弱らせたからだろ」
と横やりを入れて来たから、
「「「まーまーまー」」」
と一同なだめにかかり、くるみの口をひらかせることに成功してここから正常運転。
世話が焼ける城主様なのであった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
マツノ湯でロケを行った映画というのは、
田中征爾監督『メランコリック』です。
殺し屋たちが夜な夜な出入りしているのがマツノ湯でした。
主人公が銭湯から出て来た画面の端に「猫実四丁目〇-〇〇」と住所表示の札があるのを見て、映画館で「ウホッ! 松の湯じゃん」ってなったのを覚えています。
2019年に上映された映画です。
今年5/20に閉館してしまうUPLINK渋谷で観ました。
凄惨な暴力シーンが多いのに、見た後じわじわと心が満たされる不思議な映画でした。
大好きな映画の一つです。
アイドルグループというのは、お気づきかと思いますがBiSHです。
『星が
いずれにせよ、業界初のドローン撮影を敢行したとか、センセーショナルなMVであったことは間違いないようです。
次週の公開も水曜19時です。
今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。
真毒丸タケル
この辺りのサカイ川は川幅も狭く、混み入った家々の間を流れるほぼ用水路だ。
マツノ湯はそこに掛かる小さな橋のたもとに大災疫前からあった。
今では建屋も古くなって見る影もないが、昔は映画のロケに利用されたりもする、世に知られた銭湯だった。
その昔、アイドルグループが第二ワンガン計画道路で『星がまた来る夜に』のMVを撮影したあと、疲れた身体を癒し(ウ〇コまみれの体を洗い)に来た銭湯というのもこのマツノ湯だったと噂されている。
「パパただいま」
猫実ヌコが、そのマツノ湯の番台に座る老人に向かって言った。
そう呼びかけられながらも真っ直ぐ前を向いたまま、
「おお、サキ帰ったか。疲れたろう。早くお風呂に入りなさい」
と優しく言葉を返したのだった。
「うん。そうする」
猫実ヌコは、服は脱がずに脱衣所を抜け風呂場に入ると、そこに置かれたカセットデッキを再生する。
そして、湯が張られていない湯舟の中に入ると運動座りになった。
風呂場には、蛇口からお湯が迸る音、お湯をかぶる音、風呂桶がタイルにぶつかる音など、カセットの銭湯効果音が響いている。
「サキ。お湯の温度はどうだい?」
「うん。丁度いいよ。とってもいいお湯」
番台の老人はそれを聞いて、うんうんと頷いている。
しばらくの沈黙の後、老人が大きな声で、
「サキ。そう言えばミャーがな、清滝神社の社殿で日向ぼっこしてたらしいぞ」
ミャーというのは、老人の娘のサキが小学生の時に拾った茶トラの猫のことだった。
「ほんとうに? じゃあ、明日お仕事休みだから見に行ってくるよ」
「そうしておやり。きっと帰り道がわからなくなっいるのだから」
「そうだね。きっと」
と言ってから、
「迷うかよ、あんな近くで」
と老人には聞こえないような小声で言った。
実際に清滝神社はサカイ川のはす向こうにある。
しばらくすると、猫実ヌコは湯舟を出て銭湯効果音カセットを止め、そのまま番台に近づいて行った。
そしてまっすぐ前を見つめたままの老人の前で手をひらひらとさせると、
「パパ。あとはあたしがやるから、先に寝ていいよ」
と言った。
老人は体をビクッと震わせ、声がしたほうに顔を向けると、
「そうかい。疲れているのにすまないね」
そう言った老人はあらぬ方を向いていて、両の瞳も白濁していた。
老人はゆっくりとした動作で番台を降りると、小さな背中をさらに丸めて暖簾をくぐり外に出て行く。
この老人がマツノ湯の主人である。
目が見えなくなってずいぶん経つ。
そして記憶もあいまいになり、自分の家族などすでに存在しないことも忘れてしまっているのだった。
「そのミャーがあたしだっての」
猫実ヌコは老人が立ち去った番台に飛び乗って、座布団の上に丸くなると
「あったかい」
と目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし出したのだった。
くるみが如月ののかを連れてオオカミの所を訪ねたのは、ダジャレ事件の3日後だった。
「ダジャレじゃねーから」
3日の間ずっとこうで、オオカミのいるジャンクヤードに来るまでも、くるみはしつこく言い続けていた。
ののかもいいかげん面倒くさくなって、
「はいはい」
と受け流すと、今度はそのことが気に入らなかったらしく、オオカミの前に案内された時には不機嫌の極致になっていた。
「連れのあねさんよ。くるみはどうかしたのかい?」
一言もしゃべらずに腕組みをして憮然としているくるみを、オオカミが横目で見ながらののかに尋ねた。
「ちょっとあって」
ののかにはそれくらいしか返事のしようがなかった。
だって、たかがダジャレじゃん。
「そんなだから好きな女に逃げられるんだ」
ののかはそう言ってやりたかったが、言ったら今度こそ命がないので黙っていた。
変な空気が流れる中、オオカミの右腕のクイーン・ヌーが口を開いた。
「連絡では、猫実ヌコのことを聞きたいってことだったけど」
前世が猫の宿狼が、悪食で有名な大本の吸血鬼に捕食されて、体内で吸血鬼の因子と混ざり合って戦闘吸血鬼になったのが猫実ヌコだ。
そのためくるみは、猫実ヌコが宿狼であった頃のことを宿狼の首領であるオオカミに聞きに来たのだった。
オオカミは、
「あいつは昔はあんな凶暴な性格じゃなかったよ」
と言うと、部屋の隅でベビーバナナに房ごとかぶりついているマレーバクに向かって、
「ネコ呼んで来い」
と言った。
「え? あたし? あたしネコさんのことあまり知らないのよ。他の人に頼んで……」
などと挙動っていると、オオカミが眉根を吊り上げながら
「さっさと呼んで来い」
と言ったので、マレーバクはしぶしぶ立ち上がって出て行った。
黙して語らぬくるみを他所に、オオカミとクイーン・ヌーが先の第二ワンガン計画道路の戦いのことを語りだした。
ののかも身を乗り出してその話を聞いている。
この戦いのことは、近年まれに見る戦闘吸血鬼の戦いと、ネオワンガン地域はもとより、ネオカントー吸血鬼の語り草になっていた。
京藤くるみ。ネオワンガンの覇者筆頭候補にしてシンデルカモ城主。
張能サヤ。光爆ラダー使いでカサイリンカイ公園のガーディアン。
坂倉アイル。売り上げNo1のネオラーメンショップ第13高校前店女主人。
夜野まひる。くるみと実力伯仲らしい双子の姉のウルトラマリンブルーの戦慄。
アイルだけ強いのかどうか、いまいちわからないが…。
普通の吸血鬼が出合ったらこそこそと身を隠すしかない、二つ名持ちの4人が激突したのだから。
ののかは如何せん水の底にいて見逃したので、二人の話に夢中になるのも無理からぬことだった。
「で、あの張能サヤをぶっ飛ばしたってわけよ」
オオカミは自分が棒鉄塔をぶん回し、ヌーの大軍勢で踏みつぶし弾き飛ばして勝利したことを誇らしげに語るのだった。
一番の当事者なのに蚊帳の外にされているくるみが面白くないのは当たり前で、
「てか、それウチが弱らせたからだろ」
と横やりを入れて来たから、
「「「まーまーまー」」」
と一同なだめにかかり、くるみの口をひらかせることに成功してここから正常運転。
世話が焼ける城主様なのであった。
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
マツノ湯でロケを行った映画というのは、
田中征爾監督『メランコリック』です。
殺し屋たちが夜な夜な出入りしているのがマツノ湯でした。
主人公が銭湯から出て来た画面の端に「猫実四丁目〇-〇〇」と住所表示の札があるのを見て、映画館で「ウホッ! 松の湯じゃん」ってなったのを覚えています。
2019年に上映された映画です。
今年5/20に閉館してしまうUPLINK渋谷で観ました。
凄惨な暴力シーンが多いのに、見た後じわじわと心が満たされる不思議な映画でした。
大好きな映画の一つです。
アイドルグループというのは、お気づきかと思いますがBiSHです。
『星が
瞬く
夜に』のMVではメンバーがウ〇コを掛けられて撮影したと初期の頃は言っていて、露出が多くなった最近ではカレー混じりの汚物(多分ドロ)だったと言い直しをしているようです。いずれにせよ、業界初のドローン撮影を敢行したとか、センセーショナルなMVであったことは間違いないようです。
次週の公開も水曜19時です。
今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。
真毒丸タケル