第55話 <14ガッオ

文字数 2,223文字

 ずっと温もりの中で生きていた。

常に鼻先に食べ物があった。

横になるふかふかの寝床もあった。

たまに旅にも連れて行った貰った。

目を瞑っていても何も不自由しなかった。

すべてはその人の愛情に抱かれていればよかった。

 それが突然、裸にされ世界に放り出されたような感覚だった。

稲妻が全身を走り、細胞の全てに命令が下された。

目を覚ませ。

お前はもう、ミャーではない。

目の前のことを全て理解した。

自分が銭湯族に飼われたネコであったことも。

愛情の主が猫実サキであることも。

猫実サキが自分の命を助けるために神の火柱と契約を結んだことも。

その契約が、史上最強最恐の吸血鬼になるということも。

そして目の前のことをその目と記憶に焼き付けた。

猫実サキが銭湯族を業火で焼き尽くすのを見た。

すでに大本の吸血鬼となっていた松月院えのきがシンイタバシの空に消えたのを見た。

「どうしてあの時、松月院えのきの名前を記憶に刻んじまったんだ」

猫実ヌコは自分が生き返った時のことを思い出していた。

 ここはシンカサイ橋のたもとにある銭湯の湯舟の中である。

100度の湯がぐつぐつと煮えたぎっている。

「ママの名前をちゃんと覚えていれば出会う大本の吸血鬼もママだったんじゃねーのか」

とは思うものの、その後の転生が宿狼だったヌコのことを猫実サキが喰らってくれたかと言えNOだった。

本来吸血鬼は吸血鬼を喰らう。初期のころに猫実サキが銭湯族を喰らったのはまだその絶対数が少なかったからだ。

そこは、やはり未だに何でも喰らう悪食の松月院えのきだからこそ係累になれたともいえるのだった。

 まだ宿狼であったころ、オオカミの元で懇意にしていた人物から、

「強くなりてかったら、強えーのに食われなきゃよ。並みの戦闘吸血鬼なんかじゃダメだ。大本を狙え!」

と言われて、大本の吸血鬼を探し回った。

しかしそんなに簡単に見つかるはずもなく、宿狼仲間に嘲笑されながら歳月は流れて行った。

気が付けば49才だ。

人生も下り坂に差し掛かっていた。

自分は何をやっているのか?

これ以上、夢を追いかけて何になる。

ちゃんと宿狼らしく生きて、オオカミの親方に恩を返した方がよくないか?

大本を探しながらそんなことをつぶやく毎日だった。

そんなある日、ネオキャピタルのシンイタバシを彷徨っていると、入り組んだ路地の中に銭湯があった。

その名はアカツカ湯。

こじゃれた感じで、最近の若者言葉でいう所の

銭湯だった。

思えば自分の大本探しの旅もマツノ湯、銭湯から始まったのだな。

ここを最後に夢を追うのをやめて、真っ当な宿狼としてジャンキーに生きよう。

そう思って湯を頂くことにした。

 番台はなかった。

入浴料は自販で払った。

シャンプーと紙石鹸を買ってタオルは借りた。

脱衣場に入ると客はヌコ一人だった。

「独占か。それも悪くない」

洗い場に入ると、普通の銭湯なら富士山の絵がある壁一面に葉っぱが生い茂っていた。

さすが

銭湯は違う。

積年の垢を流し新たに生まれ変わった気持ちで湯舟に浸かる。

思えば長い旅路だった。

今となっては何で大本の吸血鬼を探していたかも忘れてしまった。

この乳白色の湯に傷心を癒してもらおう。

 それにしても湯の温度が低すぎないか?

これではまるで人肌だ。

「おーい。もう少し湯を熱くしれくれ」

と言ったが返事はない。

静まり返った洗い場に、ぴちょんぴちょんぴちょぴちょんという水が滴る音が響く。

背面の緑の壁の、葉という葉から白い雫が落ちていたのだ。

銭湯だからこういうのもありだが、どうせなら熱いのを出せばよいものを。

と思っていると、その葉から声がした。

「お前、宿狼だな?」

よく見ると葉っぱの奥に目があった。

「ここが、あたしの食餌場と知ってて来たのかい?」

それがさんざん探してようやく出会えた大本の吸血鬼、松月院えのきだった。

その後のことは何も覚えていない。

多分喰われたのだろう。

気が付いた時は、アカツカ湯の湯舟の底にネコ耳の赤子になって沈んでいた。

超高温の湯しか入れないのは、その時のぬるま湯がトラウマとなったからだった。

夢は叶った。しかし悩みは続く。

「戦闘吸血鬼になったはいいが、何をしていいのやら」

普通の吸血鬼を狩るのはすぐにやめた。

弱すぎて可哀そうだったから。

何度か戦闘吸血鬼とも戦ってみた。

みな、口ほどでもなかった。

で、それもすぐに飽きた。

戦うために存在するのが戦闘吸血鬼というが、いざなって見るとなんだかしっくりこない。

そもそも何のために神の火柱がこの星に降り注いだのか。

そんなことすら誰も知りはしないのだった。

目的が見当たらない。

今日もそんなむしゃくしゃを銭湯潰しで解消しに来た。

猫実ヌコは、屋形が吹っ飛んで青空の中の湯舟に漬かり、次に暇を潰す銭湯を夢想するのだった。

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

ネコが語ってくれなかったので、猫実ヌコの回想で戦闘吸血鬼になるまでの経緯を書いてみました。

お気づきの方も多いと思いますが、「松月院えのき」は有名な落語『怪談乳房榎』をモチーフにしています。

知らない方は、怪談乳房榎で[検索]←ここをクリック!……しても飛びません。



次週の公開も水曜19時です。

今後とも『血のないところに血煙は立たない』をどうかよろしくお願いします。

真毒丸タケル
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