参 之 剽窃

文字数 1,016文字

 寝覚めの悪い朝だった。

 夢の中にあの男が現れ迫ってくるので夜中に何度も目覚めた。

 ストーカーだと思ったが、実際はあの男はエレベーターで一緒になったきり近くで見たわけではなかった。

 迫ってくることを妄想しているに過ぎないと(います)める。そんなにもてるわけではなかった。

 いつもの出勤時刻になり玄関を出て施錠する。

 エレベーターの前に立ちボタンを押さず頭上の上下ランプをしばらく見つめる。

 動いてないことを確かめエレベーターを呼んだ。

 階下のあの男と一緒に乗りたくなかった。

 開いた扉の先には誰も乗っていなかった。これでエレベーターが下りる時に(くだん)の男が乗り込んで来なければ良かった。

 扉が閉じて箱が下りてゆく。

 下階をすべて通り越し無事一階に辿(たど)り着いた。

 考えすぎだった。

 通勤電車の同じ車両にもあの男は乗り込んでこなかった。

 考えすぎだと会社に着いたころには忘れてしまった。

 昼休み、同僚の女子たちは少数のグループを作りお喋りしながら昼食を取る。

 その何気ない話しが聞こえていた。

 火災現場で映っていた野次馬の人が偶然、同じ集合住宅にいることに気づいたという。

 同じだと(はし)を止めた。

 振り向いて自分の知ってる階下の男の特長を伝える。そうそうと話しが合った。少し痩せていて黒縁の眼鏡をかけたオールバック。

 火災現場の野次馬だというのも同じだ。

 他人の空似だと思えなくなった。

 だが同僚の集合住宅とは違うマンションに入っている。同じ男とは考えにくかった。

 少し気味悪くなって同僚と笑いとばした。

 世の中には似た人が数人いるという。似てるだけで違う人物だ。火災現場という言葉で強く印象づけられていると思った。

 午後の仕事の合間、手があくと階下の男を思いだした。

 気になる。

 ほんとうは同僚の集合住宅にいる男と同一人物で二重生活をしているとか。

 なおかつ、火災に関係しているとか。

 そんなことをする理由を想像すらできなかった。

 午後の休憩時間自分のスマホで二つの火災を調べてみた。両方とも放火でまだ犯人は捕まっていない。両方とも家人が焼死していた。

 二重生活し放火を重ねる。

 まともじゃないと思ったが考えすぎだと肝を冷やした。



 帰りの電車で凍りついた。

 階下の男が同じ車両の反対側に乗っていた。それだけでなくこちらが乗り込んでくるのを待ち構えるようにじっと見つめていた。

 目が合った寸秒、怖くなり顔をそらした。

 それでも視線を感じ続け鳥肌だった。





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