緋 之 匣
文字数 1,939文字
五階の屋上にたどり着いだけで息が切れた。
たった一階上がっただけなのに。
右手に下げた金鎚 がバーベルの様に重く感じた。
鉄扉のドアを開錠してもらいあえぎながら屋上へ出た。
包帯だけの素足が焼けたフライパンを押し当てたみたく眼をひん剥 いた。
敷き詰められた防水アスファルトが昼間の熱気をふんだんに蓄えていた。
場所はどこでも良かった。
箱を壊しても何も起きそうにない場所を選んだ。
屋上の中央によたよたと歩いた。
ぜえぜえ言いながら立ち止まり、左手を持ち上げ箱に言い聞かす。
いいか、今度はわたしが傷つける番だ。
熱いアスファルトに両の膝 を落とした。
お前は逃げられもせず、庇 う腕ももたずにわたしの暴力的を受けるんだ。
両の膝 の間、電話帳一冊分先に箱を置いて手を放した。看護師が見に来たが、バス一台分も離れてる。
燃やしてさえ傷つかなかったお前がバラバラに砕 け散る時が来たんだよ。
箱がどんな反応をするか見物 だと間をおいて見つめる。静まりかえり、板一枚さえ動かない。
右腕を振り上げて金鎚 を掲げた。
一気に振り下ろして打ちつけた。
箱の傍らに金鎚 の頭が命中しアスファルトにめり込んだ。
ギリギリで逸 らして様子を見たかった。
何も起きない。
どんな足掻 きを見せるか楽しみだったのに、身動 ぎ一つしない事が腹立たしかった。それでも初めて使う工具の感覚はしっかりつかめた。
一センチほどもめり込んだアスファルトから金鎚 を引き抜き振り上げる。
遊びは終わりだ!
頭よりも後ろまで振り上げた木の棒の先の金属の塊 を重さ以上に加速させ振り下ろした。
バキャっと音を立て小板が散らばった。
何かあるか、と周りを見回す。
看護師が顔を強ばらせて見つめていた。
ふん、何も起きやしない!
私が勝った! わたしが勝ったんだと胸が躍った。
ひいっ、と看護師が息を呑んだ音が聞こえ顔を見つめ返した。その病院職員が無言でこちらの膝 元を指差した。
壊れた箱に何ができるの、と顔を下ろして凍りついた。
砕け散った小板がずるずると集まり出していた。
冗談じゃない! とその一つにもう一度金鎚 を叩きつけた。
その頭を避けて三角の小板が集まってゆく。
組み上がりかけた細工箱にもう一度──打ち下ろした金属の塊 を箱が避ける様に膨らんで組み上げてゆく。
必死になってもう一度金鎚 を振り上げた。
振り下ろす直前、組み上がった細工箱が一瞬身震いして輪郭 がぶれた。
バシッと音が響き八面すべてから三角の小板が飛び出し、驚いて膝 で後ずさった。
細工箱が暗い赤色の光を揺らめかせ始める。
どうなってしまうのと見つめていると、ヒィィィという悲鳴を耳にして顔を上げたら看護師が頭 振り駆けだして箱と私を躱 して横を素通りして行った。
背後で鉄扉がバタンと閉じた音に振り向いた。
甲高い音が聞こえていた。空調の屋外機がうるさいなと思った。
本当に逃げちゃった。
たったこれしきの事で。
甲高い音が急激に大きくなる。
空調の屋外機とは方向が違う事に気づいた。
視線を夜の暗闇に振り上げた。
見えたものの姿を受け入れられずに、力いっぱい開いた眼で見つめてしまう。
逃げ場所をすべて取り上げられた。
旅客機の墜落現場で幾つもの投光器のライトに照らされ瓦礫の合間を多くの人が寄ってたかって掘り返していた。
辺りは様々なものが燃え悪臭と煙が立ち上がっていた。
消防士もいれば、自衛隊員もいた。皆、ヘルメットを被り真剣な面もちで、声をかけながら生存者を探していた。
この区画が一番酷いな、と瓦礫を退かしながら消防士の二人が話していた。
生存者がいるらしいじゃないか、と応じた消防士が声を潜める。
ああ、最初に入った近くの消防署の連中が言ってたな、と答えた。
聞けば最初から全身包帯ずくめだったらしく、本当に肩から両腕をなくして生きてたのか、とさらに声を下げ尋ねる。
可哀想にな。まだ相当若いらしいじゃないか、ともう一人がぼそりと吐いた。
そう呟 いた消防士がコンクリートの板一枚ずらし瓦礫の隙間にそれを見つけて手を伸ばした。
つかみ上げたそれは綺麗な細工の木製オブジェだった。
その助かった女の子を見舞って励ましてやるかと消防士は突然思った。
なんでそう思ったのか、理由がわからなかった。
彼が防火手袋越しに握るのは正二十面体の絡繰箱だった。
ー了ー
最後までお読みくださりありがとうございました。
少女の災厄は終わったのでしょうか────それはめくられた帷 の中に入ればわかる厄 です。そのようなものがいつ関わるか、それは誰にも止めようがございません。
引き続き帷 めくりをお楽しみくださりませ。
めくった先に仄 かに見えるのは、『混迷』の極地でございます。
たった一階上がっただけなのに。
右手に下げた
鉄扉のドアを開錠してもらいあえぎながら屋上へ出た。
包帯だけの素足が焼けたフライパンを押し当てたみたく眼をひん
敷き詰められた防水アスファルトが昼間の熱気をふんだんに蓄えていた。
場所はどこでも良かった。
箱を壊しても何も起きそうにない場所を選んだ。
屋上の中央によたよたと歩いた。
ぜえぜえ言いながら立ち止まり、左手を持ち上げ箱に言い聞かす。
いいか、今度はわたしが傷つける番だ。
熱いアスファルトに両の
お前は逃げられもせず、
両の
燃やしてさえ傷つかなかったお前がバラバラに
箱がどんな反応をするか
右腕を振り上げて
一気に振り下ろして打ちつけた。
箱の傍らに
ギリギリで
何も起きない。
どんな
一センチほどもめり込んだアスファルトから
遊びは終わりだ!
頭よりも後ろまで振り上げた木の棒の先の金属の
バキャっと音を立て小板が散らばった。
何かあるか、と周りを見回す。
看護師が顔を強ばらせて見つめていた。
ふん、何も起きやしない!
私が勝った! わたしが勝ったんだと胸が躍った。
ひいっ、と看護師が息を呑んだ音が聞こえ顔を見つめ返した。その病院職員が無言でこちらの
壊れた箱に何ができるの、と顔を下ろして凍りついた。
砕け散った小板がずるずると集まり出していた。
冗談じゃない! とその一つにもう一度
その頭を避けて三角の小板が集まってゆく。
組み上がりかけた細工箱にもう一度──打ち下ろした金属の
必死になってもう一度
振り下ろす直前、組み上がった細工箱が一瞬身震いして
バシッと音が響き八面すべてから三角の小板が飛び出し、驚いて
細工箱が暗い赤色の光を揺らめかせ始める。
どうなってしまうのと見つめていると、ヒィィィという悲鳴を耳にして顔を上げたら看護師が
背後で鉄扉がバタンと閉じた音に振り向いた。
甲高い音が聞こえていた。空調の屋外機がうるさいなと思った。
本当に逃げちゃった。
たったこれしきの事で。
甲高い音が急激に大きくなる。
空調の屋外機とは方向が違う事に気づいた。
視線を夜の暗闇に振り上げた。
見えたものの姿を受け入れられずに、力いっぱい開いた眼で見つめてしまう。
逃げ場所をすべて取り上げられた。
旅客機の墜落現場で幾つもの投光器のライトに照らされ瓦礫の合間を多くの人が寄ってたかって掘り返していた。
辺りは様々なものが燃え悪臭と煙が立ち上がっていた。
消防士もいれば、自衛隊員もいた。皆、ヘルメットを被り真剣な面もちで、声をかけながら生存者を探していた。
この区画が一番酷いな、と瓦礫を退かしながら消防士の二人が話していた。
生存者がいるらしいじゃないか、と応じた消防士が声を潜める。
ああ、最初に入った近くの消防署の連中が言ってたな、と答えた。
聞けば最初から全身包帯ずくめだったらしく、本当に肩から両腕をなくして生きてたのか、とさらに声を下げ尋ねる。
可哀想にな。まだ相当若いらしいじゃないか、ともう一人がぼそりと吐いた。
そう
つかみ上げたそれは綺麗な細工の木製オブジェだった。
その助かった女の子を見舞って励ましてやるかと消防士は突然思った。
なんでそう思ったのか、理由がわからなかった。
彼が防火手袋越しに握るのは正二十面体の絡繰箱だった。
ー了ー
最後までお読みくださりありがとうございました。
少女の災厄は終わったのでしょうか────それはめくられた
引き続き
めくった先に