拾壱 之 細工

文字数 1,973文字


 ドアノブをつかんだまま非常階段の踊場へ後ずさった。

 モップを振り上げた看護師が顔を強ばらせて、左手に握る箱を凝視していた。

 殴るの? と尋ねると、逆に何なのそれは、と上擦(うわず)った声で問い返された。

 ただのパズルよ! と箱をつきだす。

 光ってビキビキ音を立ててたわよね! と追い込んでくる。

 電池ぐらい入ってるのよ! とその細工箱を自分の顔へ引き寄せて見つめた。



 電池なんて使ってない。それがなんとなくわかった。



 病室に危ない物を持ち込んじゃダメなのよ。

 ええ、そうでしょう。これはとびきりヤバイ箱なのだ。それをあんたが身をもって経験してみる? と唇の両端を吊り上げ相手を睨みつけた。



 何枚目まで堪えきれるの? ともう一度箱を看護師へ突きだす。相手はモップを身体の前に持ち頼りない(たて)にした。



 そんな棒っきれでコイツを止められるものか、と強く意識した。

 病室に戻ってと言われ廊下へ入る。

 歩きだそうと片足を出した瞬間だった。

 濡れたピータイルに思いっきり足が滑った。



 モップが濡れてた!?


 ()()るのに合わせるように、後ろから閉じるドアが急激に迫った。

 たった一つ意識を占めたのは鉄扉の胸から上のワイヤーが入った窓ガラス!

 後頭部がガラスを打ち破る寸前、看護師が手にするモップのボロ布を右手でつかんでいた。

 包帯数枚の先にガラスの存在を感じている。

 見なさい! 堪えたわ! 呪いを乗り切ってやった。

 歓喜にバランスをとろうともう片足をくり出した。

 その足まで滑らせ非常口の前に滑り込んで尻餅(しりもち)をついた。

 その私にぶつけまいとでもいうように目の前で驚いた看護師がモップを思いっきり振り上げた。

 その先が天井の蛍光灯に当たるのが見上げてわかっていた。



 割れた蛍光灯が落ちてくる!



 顔を強ばらせて逃げようとする間際に消えた照明の影でもっと大きなものが動いた。

 足掻(あが)くように()いずって横へ逃げた刹那、背後で大きな音がして振り向き眼を丸くした。

 蛍光灯の器具が畳一枚分もある天井ボードごと床に転がって壊れていた。

 慌てて看護師が寄って来て大丈夫かと手をさしのべた。その声がずっと遠くにあった。



 狙われてる! やっぱり狙われてる!



 左手に握った細工箱を見る。

 小板は一枚も出てない! 三角の板は八面の箱に収まったままなのだ。

 箱自体が(わざわい)を招き呼んでるの!?

 看護師に助け起こされてると、ナースステーションから別な年嵩(としかさ)の看護職が駆けつけた。手を貸してくれた看護師が後から来た人に謝り始めるのも聞こえていなかった。

 病室さえ、安全とはいえない。

 それでも逃げ込む先が病室しかなかった。



 壊さないと!



 怖ろしさからとか、意地なんかじゃない。

 気を許している時を狙って殺しにかかっている。

 ボードと蛍光器具だけでも当たりどころが悪ければどんな目に遭わされるかわかったものでない。

 いきなり振り向いて二人の看護師に尋ねた。



 金鎚(かなづち)はないの!?



 二人の看護師がビクついて振り向いた。

 語調に押し殺した気迫がこもっていた。



 もう、箱を壊すことだけしか頭になかった。



 二人の看護師が唖然としてるので、今度は怒鳴った。



 かなづちを!



 後から来た方の看護師が絞り出す声で尋ねた。

 どうするの!? そんなもの!?



 黙って左手を振り上げ箱を見せつける。その看護師が不思議そうな面持ちで箱を一度見つめこちらへ視線を上げた。その眼が問いかけていた。

 今のが──六度目。

 怪我させられたのが四回。

 この呪いの箱のせいで私はこうなったし、他に三度も怪我をさせられたの。



 早く壊さないと、あんた達にも襲いかかるわよ。



 言い切り(あお)るように腕をさらに突きだす。

 包帯ずくめの患者に脅され問いかけた看護師が顔を歪めた。そうしてもう一人と顔を見合わせ、モップを振り上げた看護師にうなづくと最初の病院職員が小走りにナースステーションへと急いだ。

 その箱がもしそのような怖ろしい箱なら、怖そうとしただけで酷い目にならないの? 看護師がそう言いながらこちらと箱を交互に見、つきる所やっぱり左手の箱に探るような視線を向けた。

 嫌なことを、と不安になった。

 だが思いは揺るがない。

 この箱が壊れるか、私が絞り殺されるか、二つに一つなのよ。

 全身火傷(やけど)の私が言うと看護師は押し黙った。

 ナースステーションからもう一人の看護師が急ぎ足で戻ってきて金鎚(かなづち)を手渡された。

 廊下のここで叩き壊してもよかった。だが天井すべてが落ちてくる可能性があった。

 屋上に上がれる?

 二人の看護師に尋ねると、意図に気づいて年嵩(としかさ)の方が鍵を開けると承諾した。ただし、自分も立ち合うと押し切られた。

 金鎚(かなづち)をぶら下げて、箱を強く握りしめながら階段へ向かった。後から年嵩(としかさ)の看護師がついて来る今、気がつきもしなかった。





 叩き壊すなんて考えるんじゃなかった、と。





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