陸 之 穴

文字数 1,048文字


 コンビニで、使えそうなものを選び、帰りを急いだ。

 外にいるのに、目の前にあの小さな穴が居座ってる。

 恐れ──そんなことあるもんか。

 怒り──きっとそうだわ。そうに違いない。

 目的──知るわけないでしょ!

 大きな──

 思わず(かぶり)振った。

 レジ袋の中身を意識する。

 接着剤──買ったわ。

 当てもの──下敷きなんて頼りなかった。

 ガムテープ──何重にも貼り付けるため。

 大きな──

 イラついて(わめ)きたくなる。

 こんな時間に道ばたで(わめ)いたら、きっと警察がくる。

 もしも、()がされたら、大家さんに言おうかしら。

 いいや、ダメだわ。かなり年取った家主だ。どこにあるのよ、と穴を見ることすらできないだろう。

 あの、『小さな』穴から、こちらの部屋を(のぞ)いてるんだろうか?

 見えるわけがないわ!

 土壁でも薄くはない。きっと明るいか、暗いかぐらいの判別しかできないだろう。

 きっと──。

 見えるわけないわよ!

 イラついているのがわかってる。

 気がつけば、ミュールが脱げそうなぐらい早足で歩いていた。

 一刻も早く、あの穴を(ふさ)ぎたかった。

 接着剤で穴を埋めて、当てものを接着剤で壁に貼り付けて、その上を幾重にもガムテープで押さえて。

 大きな──

 心臓がバクバクしている。

 早足で歩くからだと、言い聞かせる。

 汗が噴き出している。

 そんなに早足で急ぐからと、言い聞かせる。

 それなのに、唇が妙に冷たかった。

 大きな──

 生唾を呑み込んだ。


 穴が大きくなる(・・・・・)なんてないわよ!


 顔を強ばらせて、最後の塀の角を曲がる。

 亡霊の様なアパートが暗がりにあった。

 なんでこんなときに、階段灯が切れてるのよ──?

 でも、何軒かの台所の灯りが仄かに浮かび上がってた。

 自分の部屋の窓も台所が明るい。

 灯りを点けて出かけた事をホッとする。

 階上を(にら)みながら、鉄製の階段をゆっくり登る。

 最上段に先に、隣の灯りが見えてくる。

 その灯りの片側に影があった。

 何だろう?

 音を立てない様に足を上げてゆく。

 その影が動き、いきなり台所窓がピシャリと音を響かせた。

 見てたんだわ!

 唇から血の気がひいてゆく。

 音をたて血がどこかへと逃げてゆく。

 出かける時も、帰って来た今も、見てたんだわ。

 ドアを叩きつけ、出てきた隣人を、いきなり殴りつけたいと思った。

 いいや、バットで殴りつけたい。

 そう思った刹那(せつな)、隣の台所窓から灯りが逃げだす様に消えた。

 蝋燭(ろうそく)の炎が吹き消える様に──(しぼ)り盗られた。

 廊下の一段下の階段で足が止まる。



 待ち伏せされている様な気がした。





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