玖 之 圧覚
文字数 1,934文字
自転車をこぎ続けてふた駅の距離なのにやたらと遠く感じた。
背中がゾクゾクするのは汗をかいたせいじゃないし、冬の入りだからでもないとわかっていた。
今夜、それも数時間で一生分の肝を冷やしていた。
それでも数回見たあの化け物を否定しようとしていた。心のどこかで信じたくないという思いがそうさせているのだとわかっていたが、殺されると必死で逃げた感覚が生々しかった。
もしも、もしもあれが本物で、襲いかかって来てるのが事実なら、いずれ捕まり本当に殺されてしまう。その思いを否定したくて、幻覚や夢だと思いこもうとしてると感じた。
あれが人を殺せるのなら、人もあれを殺せるかもしれない。
ふと浮かんだ思いに顔を
あんなものをどうやって倒すの? 刃物なんかで斬りつけて勝てる相手ではないわ。
不意に思いだした。
家と塀の間を通れずに激しくぶつかっていた。
お化けや幽霊でなく形あるものなんだ。
なら他の生き物と変わらない。
だけどどうやって──そこで行き詰まり自転車で走る事に意識を任せた。
激しくはペダルを踏むのを止めていたけれど、ゆっくりと走って追いつかれるなんてまっぴらだった。そこそこの速さで自転車を走らせ続けた。
半時間ほど走り一つ目の駅の傍を通り過ぎ、その間にも車から追い抜かれるという事はなかった。すれ違いの車ばかりでどの車も急いたように飛ばしていた。夜の道ってそんなものだろうと気にもかけなかったけれど、交差点で赤信号さえ守らずに突き抜けて行く。中には信号待ちしている車を強引に抜いて行くのも見かけた。
それに夜更けだというのに、車に何人も乗っている。家族連れでこんな時間にどこへ行くのだろうと思いながらしばらく走ってると、交差点の電柱にぶつかって止まっている車を見つけた。
ボンネットがくの字に浮き上がり激しく前が潰れている。
ライトが点きっぱなしで、前の左右のドアが開いたまま。片側のウインカーが虚しく点滅を繰り返していた。
うっかり近寄り、またあの化け物に変わったら怖いので自転車を走らせながら見つめたけれど、変だと思った。乗っていた人は警察を呼びに行ったのだろうか。ライト点けたままで、ドアも開けたままで?
そばに人影はなく、ちょうど走って来た別の車が止まりもせずに大きく避けて走り抜いていった。
なんだか気味悪い事ばかり。
いいや、あの事故車は化け物じゃない。ライトが点いていたんだから。じゃあ、やっぱり本当の事故で怪我したから慌てて病院に行ったのかもしれない。
その時、どうして化け物に襲われたんじゃないのかと考えなかったのか、後になって悔やんだ。そしたら追い抜く車が一台もいない理由にも気がついたかもしれない。そしたら──。
次の駅まで行くと、知ってる道や町並みに暗がりとはいえ安心し始めた。
駅前の通りを、駅から遠ざかるように別な方角へ行く道を変えた。
アパートに帰れば、ドアを閉め鍵をしっかり掛ければいい。そうして明るくなるのを待てば、すべてが冗談の事だったように切り捨てられるだろう。
気持ちが落ち着いたのかお腹がすいてきた。もう少し走ればコンビニがあるので、お弁当か何かを買って帰ろう。店員さんの顔を見ればもっと落ち着くかもしれない。
短い商店街を走ってると、いつもなら
灯りが消えている。
道を間違ったのかと、覚えのある幾つかの店の看板やテントを確かめた。
駅からのいつもの帰り道に間違いない。
しかもこんな時間だというのに、自動ドアが中途半端に開きっ放しで出入り口の辺りに何かの商品が幾つか落ちている。
暗い店内に何かが動いているような気がして、自転車を止めずに通り過ぎた。
やっぱり何か変だよ。安心しかかっていた気持ちが急に
お腹を満たすお弁当どころじゃない。不安が
商店街からしばらく走り、住宅地の端にあるアパートにたどり着いた。
どのお勝手のガラス窓も電灯は点いていないけれど、外階段と上下の廊下の蛍光灯は点いている。
あの怪物がアパートに化けてはいないのは確かだった。自転車を階段の上り口際に置いて、静かに段を踏んで行く。
見えてきた二階の廊下にも不安になるようなものはない。
階段傍の自分の部屋の前に立ち、ああ、鍵はバックの中だと噛んだファスナーの事を思いだした。
開けようとしたら意外なほど簡単に開き中のスマホが見えて、こんな事なら化け物に追いまわされているときに警察を呼べばよかった。
鍵を取り出しノブに手をかけの鍵穴に差し込む前に無意識に手首を回した。
開いた扉に