弐 之 幻覚

文字数 1,483文字



 街灯に照らされた自動販売機がまるで生肉を割るようにバックリと前を開いた。その開いた内側の際はまるで海星(ひとで)の触手のようなものが(ひし)めき(うごめ)いて震えているのが離れていても見えた。


 なっ、何なのあれは!? 驚いて息を呑んだのは男だけではなかった。だがその有り様を強ばらせた眼で見つめてるしかなかった。


 乱れたスーツ姿の男はその自動販売機とは呼べなくなったものの前で立ち止まり、唖然(あぜん)となりながら(あえ)いでいた。


 見てる光景が信じられずに、今日は飲み会の帰りじゃないし、アルコールは一口も飲んでないと自分に念押しした。


 自動販売機が閉じたシャッターの前でその底を持ち上げ始めた寸秒、その隙間から男の太ももほどもありそうなまるでミミズに似たぬらぬらとした触手を植物が根をはるように数十も周囲に広げる。

 男が、来るな、と(つぶや)きながら車道へ後退り始めた。

 その足首に一本の触手が忍び寄り一気に巻きつき、男を引き倒した。

 男が、うわぁ、と大声でわめいた。

 男が尻餅(しりもち)をついた直後、いきなり自動販売機の開いた前の裂け目からきゅるきゅると音をたてながら数本の手首ほどの太さの細長い触手が、緩やかに振られる(むち)のようにしなり伸び出た。

 もはやジュースの販売機とは思えないそれから伸びる無数の触手は獲物を探るように空を(およ)いだ。


 助けないと! そう思って、周囲に殴るのに使えそうなものを探す。動かせそうなものは、たばこ、と白字で書かれた赤い立て看板ぐらいしかなかった。


 男が引きずられていると、横目で気がつき振り向いて驚いた。



 怪物と化した販売機がゆっくりと男の方へ迫っていた。



 来るな! 来るな! 男が(あえ)ぎながらわめいた。

 刹那、空を(およ)いでいた細い触手の数本が男の顔や首に巻きついた。

 嗚咽とも悲鳴ともわからぬ声を漏らし、直後、男がこちらを見つめ両手をさし伸ばし声を絞りだした。

 助けて──助けて────くれ。



 顔や首に巻きついた触手に男の皮膚が張りつき繋がり境目がわからなくなりかけていた。



 立て看板へ駆けてつかみ重石を台から振り落とすと両腕で持ち上げ身体を振り回し投げつける。

 男へ伸ばされている触手数本の途中にあたりそれらが震え一気に男を裂け目へ引き寄せた。そうしてゆっくりと中へ引き込んだ。

 歩道に伸ばされた脚が数回、断末魔のごとく痙攣(けいれん)し、ゆっくりと中へ消えてゆく。



 人を──自動販売機が喰った!



 夢を見てるのかと思い、眼を覚ましてと自分に言い聞かす。

 街灯に照らされた触手だらけの販売機は、まだ眼の前から消えてなくならない。



 ゆっくりと販売機が向きを変え裂け目がこちらへ向き始めその開いた口が正面から見えた。

 際に生える海星(ひとで)の触手のような赤黒いものが波みたく揺れ、その内側に四重に並ぶ牙があった。細長い触手はその牙の手前から伸びている。それが巻きつき男の半身を奥へ押し込めていた。男に巻きついていない数本がゆらゆらと外へ獲物を探し求める。

 すぐに状況を理解できなかった。

 それがじわじわとこちらへ進んで来るのを唖然(あぜん)と見つめていた。

 じゅるじゅる、きゅるきゅると音をたてながら触手が踊り狂う。

 だらりと垂れた男の片足が、妙に不釣り合いだと思った。

 自分で気がつかないうちに後退り始めていた。

 それよりも速く裂けた販売機が近寄ってくる。

 遠くから近づく車のヘッドライトが見え始める。



 息を呑んだ刹那、(きびす)を返して駆けだした。



 あんなものが現実にいるわけがない。



 ありえない!



 それでも夢中で走りながら、あれに捕まれば喰い殺されると自分に言い聞かせて、男の言っていた事を思いだした。





 お前は本物なのか!?





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