参 之 指

文字数 2,196文字

 下りかけた客に割り込むようにタクシーへ乗り込むと、運転手へ早く出してと怒鳴った。

 何か言いかけた運転手が顔を前に向け後部席のドアを閉じる。

 後ろの歩道が気になり、座席で振り向いた。

 人混みの流れに白のワンピースが見えない。

 車が走り出し、その人の流れも遠ざかった。

 あの危機感は何だったのだろうと顔を戻した。

 まるでわたしを指さしていたようだった。

 いいや、そんなことはない。

 人はたくさんいた。きっと他の誰かだ。

 だがあのワンピースの女は車に二度も跳ねられてなお、わたしの立っている歩道目指し歩いて来ようとしていた。

 決して駆けては来ないが、じわじわと歩いて来る。

 居酒屋で飲んでいた間も、ついて来てたのだろうか?

 店にいた時間は半時間ほどだった。

 あの事故を見た横断歩道からゆっくり歩いてくればそれくらいかもしれないと思った。

 いいや、自分にじゃないと決めつける。

 それに車に乗ってこれだけ離れたんだ。探し出せるわけがないと思った。

 居酒屋から出てぶらぶら歩いてて偶然、顔を合わせただけだ。

 わたしにじゃないと念押しする。

 運転手に聞かれ住所を告げた。どれくらいかかると尋ねたら五千円ほどだという。

 そうじゃない。時間を聞いたんだ。どれくらい走るのかと。

 長い時間走って欲しかった。

 それだけあのワンピース女から遠ざかられる。




 半時間ほどで住んでいるマンションにたどり着いた。

 エントランス正面の車付けでタクシーを降りるとそそくさと正面ガラスドアの暗証番号を打ち込み自動でドアが開きエントランスに入った。

 ほっとしてエレベーターを目指す。

 住んでるマンションはセキュリティーがしっかりしている。エントランスすら警備会社がモニターしていた。

 どうせ来ないだろうが、あの白いワンピース女が来ても上階の玄関口にすらたどり着けない。

 強化ガラス一枚でも外に隔てられている。そのことが無性に嬉しかった。

 エレベーターに乗り振り向いてドアが閉じる。閉まりきる寸前にエントランス外の車付けスロープとマンション敷地外の道路の暗闇に白いものが動いたように見えた。

 確かめようと眼を凝らした一瞬でドアが締まる。

 いやいや、半時間も車で走って来たのだ。同じようにタクシーでつけてこないと追いつけない。見ず知らずの女なのだ。そんなストーカーみたいなことはしないだろう。

 それ以前に、自分についてくる理由がない。

 八階フロアでドアが開く。

 通路すべてはマンション内にあり解放されていない。

 下の非常階段出口と各フロアの非常階段への二重ドアは内側からしか開かないと契約時に説明を受けた。

 各階の高さが離れているのでテラス外壁を渡り登ってくることもできない。

 来るなら来てみろと高をくくり、薄ら笑いで自分の借家ドアを開錠する。女性向けマンションの割に、重い鉄扉だとその時に思った。

 いつもは土間に入りノブのロックしかしない。だけで今夜はなぜかチェーンロックも掛けた。

 廊下にあがりリビングへ行き照明を灯し、ソファに上着とバッグを放り出した。そうしてキッチンへ行き冷蔵庫を開け生ビールのロング缶をドアから抜いてグッと飲む。

 居酒屋で(ほとん)ど食べなかったのですぐにアルコールがまわりだしやっと気分がほぐれた。

 ろくな一日ではなかった。

 温かいシャワーを浴びてすっきりしよう。

 洗面所と同じ一室の脱衣所にゆき手早く衣類を脱ぐとバスルームに入りお湯を浴びた。流れに当たりながら思いだしたのは人が車に跳ねられる瞬間。

 重たい人がまるで雑誌一冊のように軽々と跳ばされる。

 人の存在は本当はあんなに軽いんじゃないだろうかと思ってしまう。


 心するがよい! 指さされてはならない。最後だと思え。


 尻餅をついた老婆の言葉が蘇る。

 そうだ。あの交通事故の女は立ち上がると指さしてその先を目指し一心不乱に歩いていた。何を指さしていたのだろう。

 色々と考えさせられた一日だった。

 バスルームから出ると疲れから髪を乾かすのも適当にベッドに転がり込んだ。




 窓からの明かりで目覚めると朝になっていた。ベッドサイドのテーブルに載せた置き時計を見るといつも出社に起きる時間だった。

 疲れもとれ起き上がり顔を洗い軽い食事をとる。

 ざっとコスメを使い服を着替えると出勤用のちょっと大きめのハンドポーチを手に玄関を後にした。

 重い玄関戸を施錠し静かな廊下を歩いてエレベーターへ行く。

 今朝は、少し早く家を出たので他の住民とも顔を合わさない。

 そう思っていたら、下の階で年配の女性が乗り込んできて挨拶だけ交わすと一緒にエントランスを目指した。

 階下の人は片側のストッキングが伝線している。知らずに履いたのだろうかと思った。

 エレベーターの扉が開き視線を上げる。

 一瞬で顔が強張った。



 エントランス外への出入り口のガラス扉の脇に、白いワンピースの女が胡乱(うろん)な顔で(うつむ)いて立っていた。



 先に降りた中年女性の気配にワンピースの女が顔を上げる。

 直後、エレベーターへ向かい右腕を振り上げ指さした。

 エントランスの自動ドアの解放ボタンを押し中年女性がワンピースの女を気にするでもなく外へ出て行く。

 その閉じきらない強化ガラスの扉の隙間からワンピースの女がエントランスの中へ入り込んで来るのが見えエレベーターのドアが閉じた。




 狂ったように自分の家のある上階のボタンを押しまくった。





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