肆 之 臭覚

文字数 1,107文字



 濃くなったり、薄くなったり。

 風に流されてくる(きり)は、街灯の下、惑わすように姿を変え続けた。

 その淡い乳白色の先にある暗闇から少しずつ夜に不釣り合いな音がこぼれてくる。

 しゅるしゅるという何かがしなる音に重いものを引きずったずるずるという音が被さる。

 歩行者もいない夜更けの町並みで、するはずがないと直感が(ささや)き、歩道に立ち止まったまま、二つ先の街灯の明かりで照らされた範囲を見つめる。

 空気に浮かぶ幾万の水分が白い光にハレーションを起こしていた。

 暗がりからその明かりの傘を避けるように商店のシャッターの傍に広がる不確かな領域をゆっくりと何かが近づいたように感じた。

 それが間の暗がりに滑り込むといきなり音がしなくなった。

 音もなにもかも、気のせいだったのだろうかと困惑した。

 心臓がゆっくりと、だが強く血を送りだしている。逃げだす瞬発力を生み出そうとしていた。

 あの喰われた男は『あいつが来る』と言っていた。それに必死に逃げていた。

 なら追われていたんだ。

 あの男が追われていたんなら、自分がそうならないという保証はなかった。

 街灯の明かりの外で、いつでも、どこへでも逃げ出せるように車道側へ音を忍ばせゆっくりと脚を運んだ。

 それでも気配のした方へ張りつめた神経を向けた。

 流れる湿り気の中に何かを感じて眉根を寄せた。

 違和感を理解しようと懸命になる。




 臭い──まるで冷蔵庫の中で賞味期限を遥かに過ぎた生肉のパックを見つけた時のような顔をしかめてしまう臭い。




 車道の暗闇に動く気配を感じて眼を(およ)がせた。

 数本先のこぼれる街灯の明かりの片隅に輪郭が見え、走って来る車だと気づく。



 乗せてもらおうと上げかかった片腕を止めた。



 何かがおかしい!?



 (ほの)かな明かりから闇に入り、一つ近い次の明かりの片隅に車が現れた。



 理解しようと必死になった。



 ゆっくりと車が走って来る。



 どうしてライトを点けてないの!?



 肉の腐臭が鼻を突いた。



 車道から逃げだそうと足首の向きを変えたその瞬間、いきなり車が起き上がったように見えた。





 しゅるしゅるしゅるしゅる。





 縦になった車の影が(ゆが)み周囲の空中に(むち)のような触手が踊った。





 ハッキリと確かめる前に顔をひきつらせ、近くのT字路へ駆けだした。





 じゅるじゅるじゅる。ずずずずず。きゅるきゅるきゅる。





 背後に沸き起こった幾つもの音に鳥肌立ち、逃げて来た道とは違う側道に駆け込んだ。





 遠くの電柱から心細くなるような小さく広がる街灯の明かり目指し足が痛くなるほど駆けた。



 背を向けているのに腐臭がまとわりつき、自分が風下を駆けてるのに気づく。





 やがて、一度も通った事のない道を選んだ事を後悔し始めた。





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