陸 之 指

文字数 1,285文字

 眼の前のコンクリート壁を見つめ、テラスの手すりに乗り壁の先へ手を回せば────と馬鹿な事を考え投げ捨てた。

 手を伸ばしても外壁があるだけだ。

 もう来る!

 あのワンピース女がここへ来る!


 どこへも逃げ場がなかった。


 そうだ! 仕切り壁を越えられないように邪魔をするしかない!

 あいつがさしだし仕切り壁をつかむ手を(たた)いて邪魔をするんだ。

 (たた)けるものを探し狭いテラスを見回した。

 何もないわ!

 テラスにあるのはエアコンの室外機だけだった。サンダル一つないことに慌てふためいた。

 素手で(たた)く!

 だめよ! そんなことできない。生まれてこの方、人を(たた)いた事なんて一度もなかった。

 殴り返されそうで怖じ気づいた。

 とんっ────。

 呆然と仕切り壁を見つめていると、となりのテラスに飛び下りた音が聞こえた。

 どうしよう!? どうしたらいいの!?

 すたすたすた、とテラスを歩き近づく音が聞こえる。

 大きく見開いた視野の上に伸びるものに気がつく。

 顔を振り上げると、伸縮式のステンレス物干し竿(ざお)がかかっていた。

 長すぎるわ!

 慌ててそれをつかみ下ろし、(ひね)って長さを縮めていると仕切り壁の角につかむ指が見えた。ボロボロの爪に玄関ドアの塗料がこびりついている。

 その壁を越えて横から長い乱れた髪が見え始め、髪が垂れて隠れた顔がゆっくりと壁から出てくる。


 その瞬間、両手に握りしめた物干し竿(ざお)をテラスの外へ振りだして思いっきり女の横顔を(たた)いた。

 鈍い音と共にステンレスの棒が長髪に食い込んだ。

 その一瞬、相手の顔が仕切り壁の向こうに隠れ、また来ようと顔を出してきた。

 物干し竿(ざお)を振り戻し、前にも増した勢いでその横顔を(たた)いた。

 一度目と明らかに違う音が聞こえた。


 竿(さお)の先をつかむ壁から離した女の手が見えた!


 引き戻そうと両手に力を込めた。

 まったく動かずに直後引っ張られ仕切り壁が近づいた。

 がむしゃらに竿(さお)を振り回すと、あろうことかそれをもぎ取られた。

 仕切り壁の向こうに消えてゆく物干し竿(ざお)を見つめた寸秒、響いた音に震え上がった。



 ごきごきごき!



 何が起きたの!?

 直後、壁の陰から外に放り投げられた竿(さお)が見え唖然となった。



 ステンレスの棒がぐるぐる巻きになって駐車場へ落ちていった。



 捕まったらあのようにされる!


 アスファルトにぶつかる竿(さお)だったものの甲高い音に我に返えった。

 ワンピースの女がまた仕切り壁の端をつかんだ。


 手で(たた)いてつかまれたら、あのように骨を折られて駐車場へ投げ落とされる!


 折られたくない!


 落とされたくない!!


 追い込まれたら人はとんでもないことを仕でかす。

 それが意識の隅にあった。

 自分がするのはとんでもないこと。

 仕切り壁の陰から女の長髪に隠れた顔が出てくる。

 その髪の下で女が口を吊り上げている気がする。

 捕まったら、ぼろぼろにされる確信があった。


 いきなり壁をつかむ手を離し、その人さし指が向けられた。



 わかんない! なんなのよこいつ!!



 その意味も、女の底知れない異常さのような気がした。



 心の中で決めたつもりもなかった。





 つと、手すりをつかみ八階の外へ飛びだした。





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