第1話 原因不明の高熱で入院

文字数 2,520文字

フリーの経営コンサルタントは、自営業というより自由業と言った方がその正体に合っている。不動産、建築、教育、金融、IT、医療、介護から、お手盛りの市場調査、経済効果の予測、政治家への取り持ち、小さな鞄一つで何をやっているのかよくわからないブローカーまで、業界も業務内容も色とりどりで種々雑多。
コンサルティングを隠れ蓑にした脱税や贈収賄も数知れず、「自称コンサルタント」は補助金詐欺や取り込み詐欺などで逮捕された経済犯の代名詞にもなっている。「経営の専門家・アドバイザー」と「口先だけの無責任な虚業」という二つのイメージが相半ばする奇妙な仕事である。
38歳の時、企業コンサルティングを専門にする中堅の会社を退社してから5年。拠点としていた東京から京都に戻ってきたこともあり、最初の3年は仕事らしい仕事もせずに過ごした。妻も養育すべき子供もなく、東山の裾野にある両親の遺した小さな家に一人で住んでいるという気楽さもあるだろう。季節ごと、日の上がる時間に合わせて目が覚め、雨が降れば家で本を読み、あがればふらりと仏像を見て回る。現代版、都市型の晴耕雨読だろうか。予定ゼロ、一日二食、オンオフのスイッチも引き出しに入れっぱなしという生活も慣れればそれほど苦痛ではない。

そんな生活に変化が起きたのは、昨年の時代祭の頃だったと記憶している。
縦横無尽に様々な糸が寄りあい、絡み合う人生と言う名の帆布は、自分の預かり知らないところでその織り目が変るものらしい。業界紙への単発コラムの代役を頼まれたことをきっかけに連載や講演が入るようになり、プロジェクトの立ち上げや事業再生案件が、相次いで持ち込まれるようになった。
チームで動いていた会社員の時とは違い、計画立案から資料作成、細々とした調整、プレゼンまで一人でこなさなければならないこと。手が抜けない性格、複数案件の同時進行など、ペース配分が上手くできていないという自覚はあった。
猛暑明けの油断から秋風邪をひいたことをきっかけに、頭痛とは言えない漠然とした違和感が続き、凍ったように冷たい首筋のこりに悩まされるようになった。パソコンの画面がちらつき、メールを読むだけで目の奥がきつく痛んだ。
とはいえ、過労や体調不良はこれまでもあったわけで、そう深刻には考えていなかった。年末年始には顧問先の企業活動も停止する。ゆっくり休むつもりで、一月は三週のかかりまで予定を入れていない。「最近、ハルちゃん、付き合いが悪い」とクレームが入っている姪や甥を連れて、知り合いがいる城崎にでも行こうと思っていた。
予定された会議をこなし、いくつかの忘年会に出席。「よいお年を」と右手を挙げ、連載原稿の最終校正を送信、ホッとしたところで無意識のうちに保っていた均衡が崩れた。
22日の朝、突然、40度を超える高熱と経験したことのない激烈な頭痛に見舞われ、這うようにして駆け込んだ三軒隣りの診療所で救急車に乗せられた。
タバコは吸わない。お酒も付き合いで嗜む程度。2年に一度は人間ドックを受けており、近視・老眼以外はすべて正常値、ヒマに任せて週に二度はスポーツジムに通っている。入院が決まった時もまだ、「いつまでも若くないな」と楽観的に考えていた。

その無邪気な観測に反し、入院期間は思った以上に長引くことになる。
当初は肩甲骨上部のリンパ節に腫れがあるとの診断で、何らかの感染症が疑われ、数種類の抗生物質が投与された。しかし、数日経過しても、症状は改善しない。血液だけでなく、髄液、CT、MRIなどの様々な検査が行われたが、すべて陰性または異常なし。感染症科、免疫内科、神経内科など複数の医師が、チームを組んで可能性のある様々な疾病について検討してくれたが、原因がわからない。
食事制限はないが食欲もない。唾を飲み込むたびに耳の奥がガリガリと意味不明な音を立てる。口中に口内炎が広がり、冷たい飲み物以外ほとんど口にできない。西陣に住む兄嫁が毎日やって来て、無理をしてでも食べるようにと涙目で言うが、小さいカップの高級バニラアイスでさえ半分も入らない。
最大の苦痛は眠れないということ。解熱鎮痛剤の強制力によって一時的に頭痛や高熱は収まるが、6時間おきにしか飲むことができない。
白い二粒の錠剤を0時に口に放り込むと、1時半には37度前後まで熱が下がる。その間、猛烈に身体が火照り大量の汗がでる。身体を拭き、グズグズになった下着と水色のレンタルの病衣を交換、三時頃までは頭痛も収まるため、30分ほどはうとうとできる。しかし、その後、再び激しい悪寒とともに体温が40度まで上昇、壊れたパソコン画面のように意味不明な画像がフラッシュバックのようにまぶたの裏で暴れまわる。
そのサイクルを0時、6時、12時、18時と4回繰り返す。
それは悪夢でさえない。
橙色のカーテンで囲まれた狭い空間の中に横たわり、点滴液がポトリ・ポトリと落ちるのを、うつろのままに見ている。頬がこけ、目がくぼみ、病人顔になっていく。情けない顔だと鏡に向かって無理に作り笑いをしてみるが、楽観的に考えるにも限界がある。このままの状態がいつまで続くのか、原因は何か、そして本当に治るのか。あれこれ考えても仕方ないと思いながら、想像は悪い方に向かっていく。

この内科病棟は、ガンなど専門病棟以外の、その他内科系疾患の治療で入院している患者の病棟だが、健康診断で異常が見つかった人の検査入院や、予約された内科系手術の準備、ICUを出た手術の予後管理という患者も多い。入院当初は、入り口から一番遠い奥の六人部屋に入った。ベッドの内半数は泌尿器などの検査入院の患者が占めており、前日の午前中に入院し、翌日の午前中には退院する。食べられないご挨拶の和菓子だけが、床頭台の引き出しに三つ四つ、六つ七つと増えていく。
28日を超えると年末年始の休日体制となるため、検査入院も手術関連の入院もなくなる。残っているのは病状が安定しない患者と自宅に帰れないひとり暮らしの高齢者のみ。
29日にナースステーションに近い二人部屋の窓側のベッドに移される。
同室者は90歳を超える、意識も見舞う人もない寝たきりの高齢者だった。
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