第36話 四半世紀ぶりのびわ湖花火大会

文字数 1,663文字

結衣から、「真純ちゃんと琵琶湖の花火」というタイトルのメールが入る。兄が取引先からもらった、琵琶湖の花火大会の船上ディナークルーズの招待券が二枚あり、結衣かハルが付き添ってくれるなら、行っても良いと言われたらしい。
「花火は七時半からですが、船の中で食事もするので、六時に出航するそうです」
夜には京都に戻っている予定だが、仕事の都合がつくのであれば、付き合ってやってほしいと伝える。翌日、久美ちゃんからも「結衣さんにお世話になります」と電話が入る。

当日、夕方四時に京都に戻って来られたため、車で二人を迎えに行く。
びわこ花火大会は、関西地区の大きな花火大会の一つであり、大津駅周辺は大混雑となる。車列も大渋滞するが、事前に連絡すれば浜大津の呉服店に駐車させてもらえる。
少し早めに家を出たため、後半の花火には間に合った。
湖岸からの風が気持ち良い。
琵琶湖の花火を見に来たのは、兄が東京の大学へ行く前の年、僕は高校の一年生だった。当時は、この花火大会は始まったばかりで、まだ今ほどの混雑はなく、余裕を持ってみることができた。浴衣姿の母は、「どーん・どーん」という腹に響く大きな音と、湖面にうつる花火をみながら子供のようにはしゃいで、鼻緒をカランコロンしながら父の腕にしがみついて甘えていた。
僕と兄はそんな両親から少し離れたところで花火をみていた。「彼女とこんでええの?」と軽口をたたくと、それには答えず、「僕が大学行ったら、こんなふうに家族一緒になんやする機会も、だんだんに少のうなっていくんやろな」と少しさびしそう笑った。
その予言は違う形で的中し、それが浴衣を着て、家族四人で一緒にでかけた最後の記憶となった。無意識に避けていたのか、琵琶湖で花火を見るのはそれ以来のことになる。
クルーズ船が戻ってきたのは、午後九時前。今日は白地にピンクの花柄という若い女の子向きの浴衣を着た真純が、船のデッキから僕を見つけて、大きく手を振っている。
「ほらね結衣ちゃん。言うた通りやろ。ハルちゃんが車で迎えに来てくれはると思てた」と真純が冷やかすように言い、その横には嬉しそうな結衣の顔があった。
「結衣、よう自分ひとりで浴衣着れたなぁ」
「真純ちゃんに着付けてもらったんです」
「私も一応、呉服屋の娘ですから、それくらい」
そう胸を張ったあとで、「ホンマは、お母さんに遅うまで練習させてもうたん。結衣ちゃんは私が着付けした最初の人。まだその結び方しかできんし。もうちょっと修業します」と肩をすくめて笑った。
大津から京都までは通常30分程度の距離だが、ほとんど車は動かない。
二人は後部座席に仲良く並んで座り、花火はどこから見ても同じ形であること、上を向きすぎて肩が凝ったと言いながら、座席の間から顔を出して撮った写真を見せながらはしゃいでいたが、途中からスマートホンの話になった。
「ハルちゃんも結衣ちゃんも、なんで新しいスマホにせぇへんの?」
「電話しか必要ないし、メールも結衣としかせえへんし。わざわざ新しいのにせんでも」
「私もあまり必要ないかな。でも最近の中高生はみんなスマホ持ってるね」
そう一応の配慮を見せる。真純はまだガラケー。たかちゃんも久美ちゃんもガラケー。スマートホンが欲しいが、「壊れてないのにもったいない」と兄には良い顔をされていないらしく、できれば後方支援してほしいというのがありありと見える。最初からその話を僕にしたかったのかもしれない。
「お父さんはまだ早いっていわはるし、お母さんは、お父さんがアカンっていわはったんやさかいって話も聞いてくれはらへんし。この時代にガラケーって、うちくらいやで。お父さんもお母さんも頭が固いわ」
来年高校生(母と同じ中高一貫の女子高へ進学)になる真純は結衣と同じくらいの背丈があり、街中でスカウトされるだけでなく、大手映画の事務所からも、「女優として育てたい」と正式に申し込みがあるほど大人びてはいるが、中身はまだまだ子供。
たかちゃんは、そんな大人の階段を上り始めたアンバランスな娘がまだまだ心配なのだろう。
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