第8話 初めてのおよばれ

文字数 1,851文字

焼肉を食べた次の月曜日にメールがあり、およばれが3月の第三土曜日に決定した。
金曜日が深夜勤務で、土曜日が明け、日曜日が休みだと書いてある。
金曜の夕方に福岡から新幹線で戻ってくる、土日は休みだと返信した。ポチポチと指一本でスライドさせながら打つ、たどたどしいスマホメールがなぜか嬉しい。
三月に入り、予定を確認するメールが水曜の夜に届く。
特段の好き嫌いやアレルギーはなく、納豆以外、何でも食べられると伝えた。
約束は午後の6時。夕食をごちそうになって、夜の10時までにはお礼を言って辞去するということになるだろう。彼女はとても素敵な女の子だし、これからも楽しく食事やデートをしたいと思っている。男としての期待がないわけではないが、初回のおよばれでもあり、一気に親密な関係になりたいと願うほど子供ではない。
ただ、年齢が一回り以上違うとはいえ、彼女も28歳。男性を自宅に夕食に招くということがどういうことか、わからない歳でもないだろう。突然再会して、デートをしたのは一度きりだが、それまで約一ヶ月間、ほぼ毎日のように顔を合わせていたし、小さな秘密を共有していた二人の距離は、もっと近い。
そう思っているのは僕だけで、単純に全面的に信用されているのか、男として全くの対象外なのか、もしかしたら(怖い師長さんなど)他にも来訪者があるのかもしれない。自分でも、二十代の若造のようだとあきれるが、この手のことは、あれこれと考えてもどうなるものでもない。

夜遅くなってから通り雨があるとの予報だったが、夕方から突然の大雨になった。傘をさしていても、タクシーの通る大通りにでるまでにびしょ濡れになってしまう。そのタクシーも、この雨ではそう簡単には捕まらないだろう。
仕方ないので自分の車を運転していくことにする。
彼女のマンションは、北野天満宮から東に寄った京都花街の一つ、上七軒の近くだと聞いている。電話をかけて車で向かう旨を伝えると、交叉点から南に下がった右手にコインパーキングがあるとのこと。車を止めてからもう一度、電話すると伝える。
早めに出発したつもりだったが、雨の影響で車列の動きは鈍く、パーキングに着いたのは予定よりも五分の遅れ。運よく、四台のうちの一つに空きがあり、ウインカーを出して入ると、そこには大きな黄色い傘をさした彼女が立っていた。
「遅れてかんにん。寒いのに雨の中でずっと待っててくれたん?」
「いえいえ、駐車場が一杯だと困るなと思って、ちょうど見に来たところです」
グレーの室内用ロングワンピースの上に、先日と同じ白のダウンジャケット。雨足は少しおさまっていたが、サンダルの間からピンクのペディキュアが濡れて光っている。大きな傘の柄を四本の手で重ねるように持って、二人で寄り添いながら向いのマンションに入った。

彼女の部屋は六階建ての五階。
「お邪魔します」
ドアを閉めると、自動ロックがカチャリと締まる。
明るい玄関を左に入ると、廊下の左右にトイレ、浴室脱衣室が独立して配置されている。その奥のリビングに向かう中ドアを開けると、左手には広いカウンターキッチン、リビングスペースだけで一五畳くらいある。間取りとしてはワンルーム、もしくは一Kだろうが、賃貸には見えない上質のマンション。
正面奥の大きな窓には濃い緑のカーテン、右手にシングルサイズより少し幅広のベッド、反対の左手奥には小さなテレビが置かれている。その手前には木製の勉強机と看護関連の書籍のつまった本棚。部屋の中央あたりに、窓を向いて三人掛けのホワイトレザーのソファが一つ。その向こうに低い丸テーブルとカセットコンロが見える。
促されて、ゆったりとしたソファに腰掛ける。
「今日はお越しいただいてありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきまして。素敵なお部屋やね」
恋愛経験はそう多くないけれど、学生時代を含め女性の一人暮らしの部屋に招かれた経験は何度かある。お客が来るときにだけ片づけられる部屋は、いつもと違う場所に置かれた小物やインテリアの緊張が伝わるものだが、窓際のサボテンもしっくり落ち着いている。
「お誘いしたものの、座布団がなくてラグに直接座って食べていただくことになります。準備万端整えたつもりだったんですが、今さっき気が付いたもので、すいません」と、小さく肩をすくめて笑った。
「いま、できるのでちょっと待ってくださいね」
そう言うと、薄黄色のエプロンをかけ、キッチンに入って配膳に取り掛かった。
僕は、ソファから降りてラグの上に胡坐をかいて座った。
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