第18話 出来の良い長男が養子に、次男が家に残る

文字数 1,409文字

父が亡くなったのは45歳の時、兄は一橋の二年生、僕は高校三年生、祖父が68歳、母はまだ43歳だった。
一ヶ月くらい前から、いつ急変してもおかしくないと宣告を受けていた。僕たちの前では、一度も痛みや苦しみを訴えず、最後まで意識があり、気力でいくつものヤマや峠を越えてきたが、最後は力尽きるように、祖父、母、兄、僕の四人に見送られ、眠るように逝った。「ピー」という拍動が止まったことを知らせる音は今でも耳の奥に残っている。
数百年の歴史をもつ、老舗商家を率いる当主として、京都財界、和装業界の重鎮として、いつもにこやかで感情を表に出さず、威厳と風格に満ち溢れた祖父が、父の名を呼び続け、子供のように大声をあげて泣くのを初めて見た。
父は、職場の人を家に呼んだり、家族に仕事の話をする人ではなかったが、経済成長の波に乗り、いつの間にか大きくなったその精密機械の会社で、責任あるポジションを任されていた。母の希望(本当は父の希望だろう)で、葬儀はお寺や葬儀場ではなく、ひっそりと家の中で行うことになったが、どうしてもという会社や関係者からの弔問客が引きも切らず、黒い服の列は小さな家を十重二十重に取り巻き。柩の前で多くの人が泣き崩れた。兄と僕は祖父の差配で忙しく立ち振る舞うことになった。バタバタする中で何も考える必要がなく、ただただ静かに時間が流れてくれるのがありがたかった。

父の死から一週間が経ち、東京の大学に戻る前の日。兄は箸を置くと、母と僕の前で自分が母の生家である堂上家の養子になろうと思うと言った。母は微笑んで、「おおきに、タカ」と小さく頭を下げ、僕は何と言えば良いかわからず、照れくさかったので、「どっちでもいいけどね」と、二つの意味をかけて少しおどけた。
本当は、兄弟どちらでも良いという話ではない。
母は矢代家に嫁にきたのであり、長男が養子に行き、次男が家に残るというのは妙な話だけれど、父は歴史ある商家を、責任をもって粛々と丁寧に引き継いでいく人材としては、兄の方が適切だと思っていたのだろう。兄弟二人とも、いつのころからかそれがわかっていて、何となく母の実家との関係や距離をはかっていたところがある。僕は、いつも祖父のことを「じいちゃん」と言うけれど、兄は昔から「おじいさん」と呼んでいた。
そういうことだ。
その日の午後、憔悴から風邪をひいて寝込んでしまった祖父を兄弟二人で訪ね、そのことを伝えた。祖父は、布団から降り居住まいを整えると、畳に正座し僕ら二人に向かい、「タカ、ハル、ありがとう。よろしく頼む」と平伏した。
二人並んで、膝をそろえて無言で頭を下げた。
祖父は長い間、肩を震わせたまま頭を上げなかった。それは兄ではなく、父に対するものだったろう。庭の大きなクスノキにとまったアブラ蝉が、ぴたりと鳴き止んで、静かな秋の風が通り始めた夏の終わりのことだった。
その後、重苦しい雰囲気を変えるように、「じいちゃん、いつまでも臥せっとらんと、タカちゃんが苦労せんように、長生きして、ちゃんとしたってや」と軽口をたたくと、「ハルに叱られるとはな、まだまだ耄碌しておられんな」と涙を拭いて笑った。
兄は、21歳の誕生日に、矢代から堂上へと苗字が変わった。大学を卒業後、祖父の勧めで京都にある地方銀行に入り、27歳で退職。そのまま祖父の会社に入り、翌年に結婚。一男二女に恵まれ、呉服屋の社長として堂上家の当主として暮らしている。
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