第5話 遭遇ではなく邂逅

文字数 1,070文字

衝撃的な体験や激しい頭痛の感覚も、日常生活の中で少しずつ薄まっていく。
退院直後は、出張先のホテルで目が覚めると、ここはどこだろうと戸惑うこともあったが、すぐにそれもなくなった。
ゆらゆらと揺れる橙色のカーテン、決まった時間に遠慮がちにしわぶく患者、メトロノームのように刻む心電図の音、窓から見える居酒屋の看板、そしてどこに行くにも一緒だった、ガラガラと音のする古い型の銀色の点滴台。
病状が少しずつ快方に向かうことを「薄紙を剥ぐように…」と評すことがあるが、その記憶は、写真がゆらゆらと揺れながら深い海に沈んでいくように、少しずつぼやけながら遠くなっていく。クライアントへの年始めのご挨拶が一週間後ろ倒しになったが、プロジェクトの進捗には影響はなく、スポーツジムも週三に増やして体力も回復、週に一度の通院も先週で終了した。父親が好きだった宮川町にある「ニッキ餅」を大量に買って病棟までお礼に行ったが、佐々倉さんの名札は「深夜」のところにあり会うことはできなかった。来年の正月には、「去年は大変だったな」と、苦笑いとともに時間的な記録として思い出すだろうが、その映像は夏が来るまでに引き出しの奥深くにしまわれることになるだろう。

二月も終わりに近い土曜の夕方、久しぶりに繁華街にでる。
我が家は、建仁寺の裏手にあたり、境内を抜け鴨川にかかる団栗橋を超えると、四条河原町まで歩いて15分とかからない。夏には納涼床や等間隔で腰を下ろすカップルで賑わう川べりも、京の底冷えの中では歩いている人さえ少ない。
それでも、四条通りにでるとスーツケースを引っ張る観光客でごった返している。東京に暮らしているとそんなことは言っていられないが、子供の頃から人込みは苦手で、よほどの理由がない限り土日に街中にでることはない。髪を切ろうと思い立ったことや、寺町のリーガルショップで靴を買おうと思ったことなど、それなりに理由はあるが、どちらもさほど急ぐものではない。
案の定、本能寺を下がったところにある行きつけの散髪屋は予約で埋まっており、寺町通りも錦通りからあふれ出た食べ歩きの外国人観光客で溢れかえっていて、地元の人間がゆったり買い物をする場所ではなくなっている。僕は一体ここに何をしに来たのだろうと、後悔以外により所のない注ぶらりの気持ちのまま細道に入り、蛸薬師から移転したロフトの入るビルのある河原町六角まででてきた。
小腹の空き具合に、遅い朝食だけだったことを思い出しながら、東向きに渡る赤信号をぼんやり見ていると、ふと背中から名前を呼ばれたような気がして顔を向けた。
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