第14話 頭の中にあるブラックホール

文字数 1,443文字

「まだ、結衣を抱いてあげる準備ができてないよ」
目を逸らせ、笑って誤魔化そうとするが、許してもらえない。ゆっくりと僕のパジャマのボタンを外すとパジャマのズボンに手をかける。軽く腰を上げると下着と一緒に下ろし、足の間に入ってラグの上にペタンと座る。
膝を立てると、伏し拝むようにして両手でつかみ、何度もキスをしながら、口の中に入れる。ぎこちない手つきで、柔らかいくちびると舌で歯を当てないようにしながら、不器用に愛撫を続ける。細い肩かが前後に揺れている。結衣の温かさが体中にしみわたって気持ちがいい。でもその意志に反し、その優しさに委縮するように小さくなってしまった。
『自分の考えや思うことは自分で決められる』と言う人がいるが、そう言い切れるほど人間の脳は単純ではない。後悔の記憶というものは、一度そこにアクセスされるとその深みに足を取られて、抜け出すことができなくなる。光が大きな重力によって曲げられるように、脳の中の電気信号も重い記憶に引きずられ、どんどん重く大きくなっていく。ブラックホールと原理は同じだ。

「上手くできなくて、ごめんなさい」
その潤んだ目を見ながら、静かに首を振る。
「とっても気持ちいいよ。大きいならんのは結衣のせいやなくて僕の問題。と言うても歳のせいにするんもまだちょっと早いしな。心の中にある記憶や屈託が、時々、色んな悪さすると言うのが正確かな。ほんまに結衣のせいやないよ」
その言葉の意味を推し量るように、じっと僕の目を見ていた。
「それは、なにか女性に関係のあることですか?」
「う~ん。事情はもうちょっと複雑。もうずいぶん前に終わったことやし、未練とかその人を忘れられんとかいうことでもない。今まで誰にもその話をしたことないけど、頭の中で整理できたら、結衣にも聞いてもらおかな」
一つひとつの言葉の意味を考えながら、ゆっくりとそう言うと、目に涙を貯めたまま笑って、僕の右手を取って自分の胸を握らせた。
「いつでもいいですよ。私は矢代さん専用のおっぱいパワーの結衣ちゃんですからね」
ポロリと落ちた涙に胸が熱くなると同時に、愛しさがこみあげてくる。
「今は結衣が一番好き」そう笑って、胸を揉みながら小さくキスをすると、「私もぉ~」と抱きついて、少しうるんだ僕の両目を交互にペロペロと舐めた。
「あっ、明日は一緒にお風呂に入って、体中ぜ~んぶ、隅々まできれい、きれいにゴシゴシ洗うたげるしね。結衣が自分で言うたんやからね」と言うと、「ひど~い。騙されたぁ」と手で自分の目を拭きながら、声を挙げて笑った。
入院中にみた天使は、しっかりもので仕事のできる、物静かな優しい看護師さんというイメージだが、仕事を離れた結衣は明るく、お茶目な子。人の心の動きに対する感度が高く、ウイットに富み、感性が豊かで涙もろい。
手を引かれるようにして裸のままベッドに入った。無意識のうちに固く閉まっていた引き出しの鍵が少し緩んだため、過去の様々なことが溢れだし、目を閉じてもなかなか眠れない。目を開けると子猫のような笑顔で僕を見上げている。
「心配させてごめんよ」
「いいえ? なんだか嬉しい」
「なんで?」
「女心です」
歳の差は関係なく、男は女に勝てない。いい女には勝てないと言った方がいいだろうか。気持ちが穏やかになっていくのがわかる。
「ゆっくり、眠ってくださいね」
落ち着かせるように、手のひらでゆっくりと、僕の胸をトントンとさすってくれる。
肩に乗せた頬にキスをして目を閉じると、ゆるやかに覚醒が解かれていった。


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