第77話 会社はだれのものなのか

文字数 2,059文字

業務提携の条件交渉の基本骨子は、日繊工から提示されたが、それは交渉というよりも、「それいいですね。面白そうですね」という未来に向けての話ばかりになった。
山下繊工の株式は、社名の違う三つの会社に分散されていた。独立性を保つためには、日繊工単独の支配力が強くならない方が良い、また、外部から、グループ会社や関連会社に見られない方が良いという配慮だろう。あれほどバタバタした中で細かいことまでよく気が付く人だ。取締役の受入について確認した時は、手を振って笑っただけだった。
「先日、副社長と美穂子さんにお聞きしたんですけど、山下繊工の上場には反対されたそうですね。こうなることを予想されてたんですか?」
コーヒーブレイクのときに、阿部室長がそう聞いてきた。
洋さんや美穂子は、どんな話をしたんだろう。
「仕事ですから、可能性のある全てのリスクは想定します。でもそれは結果論ですし、当時は、色々な感情的な行き違いもあって、十分な対策を講じることができなかった。ただ、上場しなかったとしても、山下繊工単独ではその成長に限界があります。今はこうして日繊工さんとお付き合いさせていただくこともできたわけですから、どちらが正しいとは言い切れないです」
そう言うと、ひと口コーヒーを飲んで、言葉を整えた。

「ただ僕は、基本的に会社はそこで働いている人達みんなのものだと思っているんです。日本型経営の特徴としていくつか年功序列や終身雇用を挙げる人がいますが、その土台は会社への帰属意識です。手前みそですが、うちでも働いてくださっているみなさん、パートさんでも僕より"まるよし"のことを大切に愛してくださっています。結局、そう言う会社が強いんです。お金を出してくれている出資者は大切だけれど、少なくとも、その場限りの投機家のものではない。株主の経営チェックとか、もの言う株主とか言うけれど、経営陣が有能か無能かというのは、もう少し長い目で、基本的にマーケットや株価に任せた方が良い。一部の人の言っていることは、「おれは客だぞ、金を払ってんだぞ」と、飲食店で騒いでる行儀の悪い、みっともない人とあまり変わらないですよ。まぁ、そんなことを言うと、上場するなということになりますが」
「私もそう思っています。彼らは会社に対する思い入れとか、クリエイティブな仕事を生み出すものは何かがわかってない。長期的な戦略もなく、年度毎の利益や目に見える短期的な実績しか興味がない。今回の提携交渉においても、私たちは譲歩したのではなく、山下さんに、これまで通りの力を発揮していただくには、どうすれば良いかということでしかないのです。それが私たちにとっても最大のメリットなんです」
僕は、その言葉に感謝の意を込めて、膝に手を置いて頭を下げた。
「でもそれで、今回のファンドや買収企業に対する対応が、キツイ理由がわかりましたよ。結局高い時に株を仕入れて、安い時に売らされて、底値で買い戻すことができませんでしたから大損でしょうね。バタバタと防戦一方だと思っていたら、その間に情報をコントロールして手痛い一発をくらわせて退散させるなんてお見事です。結局は、彼らは底値に近い金額で手放さざるを得なくなって、いま手元にはほとんど残っていないはずです。またこれでドカーンと上がった時の顔が見ものですけどね」
「それは人聞きの悪いことを、僕は情報をコントロールなんてしていませんよ。社長の体調については、ホームページや会見を通じて、問題ないと適切に広報したのに、それを信頼しないのは相手の責任ですよ」
「そうでした、そうでした。人聞きの悪いことを言うてしまいましたね」
そう言って、先生への悪戯が成功した小学生のように、二人でニヤリと顔を見合わせた。
「そうそう、一つだけ厄介なお願いがありまして」
提携条件がまとまり、二人だけで、ホテルのバーで打ち上げをしていると、急に申し訳なさそうな顔をしながら、こちらに身体を向けた。
「なんでしょう」
「記者発表の会場なんですが、相談役がホテルではなく京都の「まるよし」さんでお願いしろと言ってきかないんです。ご迷惑だと思いますが、お願いできませんでしょうか」
そう言えば、その布石はあった。
兄と美穂子と三人で、お礼に大阪の箕面の自宅まで伺った時、「ワシなぁ、文ちゃんがのうなった時、病気しとって、葬式にいけてないんや。こんど、お伺いさせてもうエエか。何か機会をつくってぇな」と言われていた。「いつでもどうぞ。祇園にもご招待しますよ」と応えたが、せっかちな年寄りは、自分でその機会を強引にセッティングしたということだろう。最初からそのつもりだったのかもしれない。
「一応、兄に確認しないといけないですが、大丈夫だと思います」
「堂上社長やハルさんにはお世話になっておきながら、更に無理をお願いして申し訳ありません。ようやくこれで、肩の荷がおりました」
いつの間にかみんな僕のことを、苗字ではなく『ハル』と呼ぶようになる。
結衣は不公平だと怒りそうだが…。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み