第87話 結

文字数 1,488文字

結衣が泣き止むのを待って、「まるよし」が東京に進出すること、その準備のために、僕も四月から東京で暮らすことを結衣に告げた。
「ずっとというわけにもいかんから、だいたい一週間の内、東京が四、五日、京都に二、三日くらいのペースかな。タカちゃんが、コンサルタントフィとして、僕と結衣が一緒に住むマンションを、まるよしで借りてくれるって。それから月に一回くらいは、結衣も一緒に京都に帰って来たらエエ。みんな寂しがるやろし」
そう言うと、びっくりして大喜びしていたが、ふと不安顔になった。
「ハルさん、この間もお話ししましたけど、希望者が多くて、採用試験とても難しいようなんです。ダメだったらどうしましょう」
「それだけは、僕にもタケにもどうしようもないし。まぁ、頑張ってくださいとしか言いようがないな」と笑うと、「今から緊張してきました。ほんとにダメだったらどうしよう」と、眉間にしわを寄せて、ブルっと身震いをした。

24日の夜、東京の山下繊工で忘年会をしている僕に結衣から電話が入る。
結衣は、最後の御奉公ということで、例年通りクリスマスイブも大晦日も仕事の予定が入っている。師長の配慮で、元日、二日と休みをもらった。
師長に退職の話をすると、わかっておられたようで、「私ひとりでは判断できないから」と、そのまま院長室につれていかれ、総師長と四人で話をしたという。
「病院長や総師長からも、ありがたいお話しをいただいて、慰留していただいたんですが、私が困っていたら、師長が、『この子はまだまだ伸びる子です。旅をさせると思って、快く認めてやってください』って、頭を下げてくださって、ありがたくて涙がでました」
「結衣は、ほんまにええ先輩や素敵な上司に巡り合えてよかったな」
そう言うと、鼻をすすり上げる音で応えた。
「病院長から、ずっと東京で暮らすのかと聞かれて、『来年、ハルさんと結婚をするので、たくさん勉強して3年か4年したら、京都に戻ってくる予定です』とお答えしたら、『私は、あと8年ここにいるので、それまでに必ず戻ってきてください』とおっしゃっていただきました。あと、病院長と総師長がそれぞれ推薦文を書いてくださるそうです」
「それは良かった。これでチョットだけ、門戸が広がったな」
「それでもし不合格になると、かなり格好悪いですけど」
「結衣の跳び箱もどんどん高こうに積まれていくなぁ。合格しても、推薦してもろた病院長や総師長に恥かかさんように、頑張らんとあかんし」
「そうですよね。わたし跳び箱、不得意なんです。ご存じの通りお尻大きいし」
そう言って、二人で笑った。
「それから、お話ししてた通り、明日と明後日、松本に帰ってきます。ハルさんのことも、両親に話をしないといけないし。それと、これまでのことを、ちゃんと私から謝ろうと思っています。弟も大学が休みで実家に帰っているようですから」
そう言った声は、思ったよりも元気だった。
「なるほど。それはエエことや」
そう言ってから、一度言葉を区切った。
「ただな結衣、謝る必要はないと思うよ。結衣が悪いわけやのうて、真純やナリが言うたとおり、通らんとあかん道やったんや。そやし、『ごめんなさい』やなく、『いままで、やさしく見守っていただいて、ありがとうございます。もう大丈夫です』って言うた方が、ご両親も喜ばはるとおもうよ」
そう言うと、「はい、わかりしまた」と、もう一度、鼻をぐすりと鳴らした。
「あと、僕のことは上手に売り込んどいてね。ご挨拶するときに叱られんように」
そう言うと、「お任せください」と言って、拳を握って笑った。
もういくつ寝ると、新しい年がやってくる。
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