第85話 兄、まるよしからのコンサルティング依頼

文字数 1,382文字

山下繊工のホワイトナイトを探すという依頼をした時に、兄から交換条件として出されたのが、「まるよし」を手伝えということだった。山下繊工の問題が起こるまでは、兄とは仕事上のことについては距離をおいてきたし、僕から何かを依頼したことも、兄から経営上の相談をされたこともない。
しかし、いま、「まるよし」は、初の東京への進出を控えている。
大きくリニューアルする都心部の百貨店の中に、大々的に和服や和装小物などのフロアをつくるという構想が持ち上がっており、そのマーケテイングやブランディング、事業企画をふくめて全面的にプロデュースしてほしいという依頼がきているのだ。
東京への進出は祖父の代からの悲願でもあった。これまでも百貨店への出店計画はあったそうだが、祖父も兄も断り続けていた。京都の老舗企業は、現代に蔓延る「とりあえずやってみる」というビジネスモデルとは対極にあり驚くほど気が長い。時間的な視野が広いと言った方が良いだろうか。自分の任された当代だけでなく、世代を超えて計画や願いは引き継がれていく。
腰が重いというのとは違う。商機が熟すまで、環境が整うまで何十年もかけて、いつでも飛び出せる準備をしたまま待っているのだ。それができるということが最大の強みだと言って良い。
今回のことで先方のボルテージや期待は大きく高まっており、当初の計画の拡大見直しを打診されている。祖父が託したその最後のピースは僕であり、それはこの時に集約されていたのだろう。
「あぁ、そうそう、まるよしに入れとは言わんから、コンサルティング契約にしたろ」
「あぁ、店長は別に考えるとして、ハルには三年くらいは手伝うてもらおかな」
「そうそう、ホテル暮らしも大変やろし、東京にマンションを借りてやろ」
兄は、照れくさいのか、思いついたように、断片的、かつ一方的な話しかしない。そのプロジェクトが本格的にスタートするのが来年の四月、オープンはその二年後の四月という気の長い話だ。結衣に、その話をするのは今ではなく、あと三週間くらいは待ってもよいだろう。
柔らかい温かいくちびるが、ゆっくりと離れる。
「今の病院とか、住むとことかどうすんの?」
「ハルさんにご相談してからと思っていたので、まだ誰にも言っていません。ただ今度の報告会が終われば、師長にお話ししようと思っています。それから、まだわからないですけど、向こうでマンションを借りることになると思います」
「そうか、そのためにも、今回の報告会はビシっとやらんとな」
「はい。頑張ります。ご指導よろしくお願い致します」
「結衣が東京に行くんやったら、僕もくっついて行って東京で暮らそかな」
「いいですよ。ハルさん一人くらい私が面倒見てあげますよ」
冗談だと思っているようで、そう言って楽しそうに胸をそらせた。
帰りに商店街で夕食を買って二人で料理をつくる。その日は豚玉のお好み焼きと寒ブリとひらめ、ボタンエビの刺身、それとだし巻き卵。いつもの店でお酒も買った。今日のおすすめ銘柄は、越後の景虎の清酒ベースの甘くない梅酒。結衣の言う通り、買い物には時間がかかるが、旬の食材や見分け方など勉強にもなるし、何よりも会話が楽しい。
ただ、この商店街に二人で来る機会は、もうあと片手で数えるほどしかないだろう。東京に行っても、二人で買い物できるこんな素敵な商店街があるところが良いなと思った。
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