第22話 大切な相棒 タケとの再会

文字数 1,866文字

梅雨の走りとなった木曜の夜、夕食を終わって家で本を読んでいると、スマートホンがトクントクンと震える。スマホにメールをしてくるのは一人しかいない。

【先日は、ありがとうございました。とても楽しかったです】
【明日、お越しいただく予定なのですが、風邪をひいてしましました】
【少しですが熱もあるため、今回はお目にかかることができません】
【いつも、お仕事調整いただいているのに、本当にごめんなさい】
【また、連絡させていただきます。取り急ぎお詫びまで】
     【佐々倉 結衣】

そのまま着信履歴を押すと、呼び出し音が鳴る前に泣き声が聞こえる。
「ごめんなさい」
「風邪をひいてしましましたって、大丈夫?」
ゴホンゴホンと咳きこむ音がする。反応する力もないらしい。
「大丈夫なんですけど、ちょっと熱があって…」
今日は日勤のあと、少し休んで、そのまま深夜勤務の予定だったが、体温を測ると三八度近い熱があり、熱発外来で診察を受けたところ、コロナでもインフルエンザでもないが、師長から夜勤は代わってくれる人を探すので帰って休むように言われたという。
「普段は丈夫なんですけど、四年か五年に一度、決まったように風邪をひくんです」
「東京オリンピックは終わったけどな、ご飯はちゃんと食べた?」
「食欲はないんですけど、病院で栄養剤を点滴してもらったので、大丈夫です」
再び、ゴホンゴホン。家にいるので、お見舞いがてら顔を見に行くといったのだが、うつるといけないので、絶対に来ないでくださいという。
「わかった。まぁ、とりあえず今日は、ゆっくりと寝なさい」
「はい」
「良いご返事でよろしい。じゃぁ、明日は東京に泊まるから、また夜に電話する。遅くなるかもしれんから、寝てたらでなくてええよ」
「ありがとうございます。ずっと待ってます」
グスリと鼻声でそう言って、電話を切った。
その後、その思い立った勢いのまま、着信履歴からは外れてしまった五年ぶりの懐かしい名前をスクロールした。

翌日、横浜での会議が終わった後、二人でよく飲んだ銀座のバーにいた。
コロナという怪獣に蹂躙されたように、表通りは様変わりしてしまったが、懐かしいドアをくぐると、そこにはバーテンダーの微笑もカウンターに飾られた花も、五年前と何も変わらない空間があった。
「ご無沙汰しています。御連絡いただきありがとうございます。何事かとびっくりしましたけど、嬉しかったです」
「こっちこそ、ご無沙汰してしもて、タケも元気そうやな」
「雑誌の連載、読ませていただいています。さすがハルさんは、目の付け所が違うなって、みんな話してますよ。専務や部長も読んでるみたいですが、バツが悪いのか、何も言いませんけどね。丸山や田代は、ハルさんが会社作ってくれないかなって、そしたら給与半分でも行くのにって言ってますよ」
「無茶言うな…」その話を、手を振りながら笑ってさえぎった。
「気持ちはうれしいけど、そんな気はない」
軽く言ったつもりだったが、少しキツイ物言いになってしまった。会社を経営する面白さと、コンサルティングの面白さは全く違い、会社を経営していく能力と、コンサルティングの遂行能力とは全く別物だ。特に残念でもないが、その才覚は僕にはない。
「また、そのうち、あの頃のメンバーでまた楽しく飲もうや、保身第一部長の悪口でも言いながらな」そう言って、少し硬くなった空気を払うように笑った。
タケは、僕が務めていたコンサルティング専門会社の二つ年下の後輩で、難しいプロジェクトは、いつも二人でチームを組んで仕事をした。僕が全体像やメリット、リスクを含めた方針を示し、彼がそれを補完するデータや図式などを作っていた。客観的で綿密、かつインパクトがあり、わかりやすいプレゼン資料を作らせれば天下一品で、ネット関係やマスコミ対策にも強い。一時は会社の利益の1/4を二人で稼ぎ出していた。
最後のプロジェクトも二人で担当していた。そして一緒に外された。
「タケも、もう不惑を超えたか、早いもんやな」
「ハルさんも、言葉のイントネーションが少し違うだけで、印象が変わりますね。もうこっちの人ではないようで、なにか少し寂しいですけど」
「そういわんといておくれやす」と冗談めかして軽く言ったが、彼は笑わなかった。
彼は、しばらくの沈黙のあと、言葉に力を込めた。
「実は、わたしもあの山下染工さんのことで、ハルさんにご連絡させていただこうと、思っていたところだったんです」 
タケの口から、覚悟の眼差しもって出たその名前に、冷たいものが背筋を上がって思わず身構えた。
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