第20話 京都から東京へ、東京から京都へ

文字数 1,513文字

父の死から三年、大学卒業を一年後に控えたある日、突然、母のほうから「ハルは一度京都を離れなさい」といってきた。それは、ちょうど就職を考え始めた頃で、僕が東京のとあるコンサルティング会社に魅力を感じていたこと、母も、いつまでも自分が束縛してはいけないと思っていたことなど、理由は色々あるだろう。兄は、母の生家である養家で暮らしていたものの、母とは毎日会うことから、その方向に心は傾きつつあった。
「まるよし」は、完全な同族会社であり、母も取締役である。名前だけのものではなく、祖母が早くに亡くなったことから、奥向きのことは母でなければわからないことも多い。
年に二回、春と秋にタレントさんや女優さんを呼んで、大きな新作展示会が行われる。地方からやってくる呉服店の店主や目の肥えた常連さんが集まるため、それなりの人をお願いしているのだが、どんないい柄や仕立てでも、着慣れていないと下手な合成写真のように、身体と着物が分離してしまう。また、洋服以上に、立ち振る舞いや小さな所作が、着物の価値を上下させることになり、付け焼刃では、厳しいプロの目を誤魔化すことはできない。母に会うために、毎年、京都にやってくるというファンも多く、裏方として地味なものを着ていても、若いタレントさんなどは、そこのけそこのけという感じになる。
更に、その前年から、着付け教室を始め、それが京都のええとこのお嬢さんの花嫁修業のひとつのような扱いとなり、毎年、定員の数倍のキャンセル待ちがでるほどの大盛況となっていた。また、兄が結婚してからは、兄嫁に色々と伝えておかなければならないことがあるようで、いつも忙しそうだった。
ぼくは大学卒業後、志望した東京のコンサルタント会社に就職し、仕事や生活の拠点を関東に移したが、毎年、正月、GW、お盆には長期の休みを取って帰ってきていたし、大阪への出張がある時はできるだけ顔を出し、休みがあれば泊まるようにしていた。それでも、当初は10年くらいで京都に帰ってくるつもりでいたのだけれど、祖父も健在だったため、東京で暮らす日々が続いた。

東京での生活が長くなったのは、仕事だけでなく、僕の結婚話も関係している。
33歳の時に知り合った、担当先の会社の社長の次女と付き合っており、お互い一緒になるつもりでいた。その人は、僕より七つ年下で、一緒に行っていたプロジェクトのリーダーだった。普段は、担当先の女性とは、最初からある程度距離を置いているのだが、おっとりした真面目でやさしい性格で、強く惹かれた。
社長である彼女の両親は、僕に会社に入ってほしいということを匂わせ(その気はなく、丁重にお断りしていたが)、二人の仲が進展することを強く望んでいたが、二人の間では暗黙の内に、結婚は取り組んでいる仕事がもう少し落ち着いてから、ということになっていた。それは迷って先延ばしにしていたのではなく、二人の間では既定路線だったからだ。
ただ、そのプロジェクトは、当初の想定を超えて成長しつづけたため、その面白さにのめり込み、時間はあっという間に過ぎていった。結果的に、それが想定しなかった軋轢を生んでいくことになる。意見の相違によって、その担当先と勤めていたコンサルティング会社、双方との関係が崩れ、退職することになった。それによって結婚もなくなった。
いくつかの同業他社からうちに来ないかという話をもらい、中には金銭面だけでなく、その他条件を含めかなりの待遇を提示してくれたところもあった。ただそれでも、東京を離れ、京都に帰ってきたのには、哀しみと後悔で心底疲れていたというだけでなく、ここで決断しなければ、もう戻れなくなることがわかっていたからだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み