第4話 最後まで原因はわからなかった

文字数 1,048文字

ドラマや映画ではないから、ドラスティックな変化が起こるわけではない。
ただ、それから一週間ほどして、体温の上昇スピードがゆるやかになり、それまで6時間おきに飲んでいた解熱剤の間隔が少しずつ伸びていった。
「これでようやく治る」
そう確信したのは夢を見た時だった。コスモスが揺れる穏やかな山の風景だった。それから食事も少しずつ採れるようになり、右手に常設してあった点滴の針も抜かれた。となりのお爺さんは、お風呂に入っている間に、老人ホームの人が迎えに来られたそうで、挨拶もできないまま退院された。
13日の夕方、関わってくれた複数の医師、看護師長らと話し合い、診断名がつかないまま15日の退院が決まった。計25日間の入院だった。その日の午前中に東京の検査機関から、最新の血液検査の結果が送られてきたが、変わらずすべてが陰性だった。
最後に佐々倉さんに会ったのは、退院前日の14日の夜。
ステーション内にある夜勤者のボードに名前があったので、眠らずに待っていた。その後もたわいのない会話はしていたが、あの夜の出来事については互いに触れない。
「ご退院、おめでとうございます。最後の検温ですね。こんなことを看護師の私が言うのも変ですが、少し寂しいです」
「ありがとう。本当に佐々倉さんにはお世話になったね」
「こちらこそ、矢代さんとお話しさせていただいて、とても勉強になりました。ありがとうございました。私は準夜勤なので、お見送りできません。師長から退院の流れや手続きについてお聞きになっていると思いますが、わからないことありませんか?」
大丈夫だという意味を込め、小さく頷いた。
彼女の笑顔を見ることもないと思うと、少し胸が痛んだ。
この忘れかけていた懐かしい感情を、なんと呼べばよいのだろうか。

「最後に、一つだけお願いしてもいいかな?」
床頭台の電気をつけて、小さな沈黙を置くと、彼女の目元が小さく緊張する。
「もう一回だけ、マスクをとってもらえんかな。佐々倉さんの顔を覚えておきたいから」
看護師はその制服を脱ぐと印象が変わる。街の中ですれ違っても、こちらからはそうとは気が付かないだろう。ただ、彼女のやさしさやその表情を留めておきたかった。
「高いですよぉ」
ほっとしたように頬が緩み、彼女には似合わない俗な言い回しで、笑いながらマスクを取った。整った鼻筋、膨らんだ頬、笑顔の似合う優しそうな口元、ふっくらした唇、そして右側だけにできる小さな笑窪。うっすらと涙を浮かべながら、恥ずかしそうにはにかむ笑顔が、胸の中に温かく残った。
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