第17話 母の三回忌

文字数 2,025文字

母の死から丸二年が経つ。
GWの大量の観光客がひと段落ついた中、菩提寺で三回忌法要が行われた。
喪主は、矢代家で唯一残った僕が務める。如才なく来訪客に挨拶し、何度も聞いた両親の昔話を初めて聞いたように驚いて、拝聴するのが与えられた役割。
お寺での法要、料亭での食事が終わり、内々の親族だけで自宅に戻る。そして、いつものように、仏壇の前に座らされ、米寿の祝いを控えた伏見の大叔母(祖父の一番下の妹)の小言を聞く。これもルーティンの一つ。今年は、幼稚園に通う四歳の真琴(兄の次女)が、「私が、ハルちゃんのお嫁さんになってあげる」と頃合い良く膝に座ってくれたので、30分くらいで解放された。以前、その役割を担っていた長女の真純は、来年高校生になるため、離れたところでツンとすましている。

両親が結婚したのは、父が24歳、母が22歳の時。
母は、秀吉の頃から続くという京都でも指折りの呉服屋「まるよし」の一人娘。
弟がいたそうだが、まだ幼い子供の頃に夭折したと聞く。祖母も僕が幼稚園に入るか入らないかの頃に亡くなっており、遺伝なのか母にも心臓に先天性の疾患があった。深窓の呉服屋令嬢というのはピンとこないが、最高級の桐箱の中で極上の絹にくるまれて、育てられたことは間違いない。
エスカレーター式の京都のお嬢様大学を卒業し、数年は花嫁修業をして、引く手あまたの中から、祖父のおめがねに適った老舗同業者の次男坊あたりを婿に入れるというのが既定路線だったろう。
しかし、人生のレールはどこにつながっているのかわからない。
母は大学生の時に、小さな精密機械部品のメーカーで工員として働いていた父と恋に落ちる。田舎の農家の七人兄弟の四男坊で、中学しか卒業していない集団就職組。その時はまだ、働きながら夜間の専門学校に通っていたと言う。
父が養子に入るのではなく、母が矢代の父に嫁いだ。その結婚にあたっては、僕らが耳にする以上に、親戚を巻き込んで、すったもんだあったろうことは容易に想像がつく。
当代当主であった祖父(母の父)は、家柄がどうの、家格がどうのという安っぽいプライドを持つ人ではない。伝統は革新、進化を重ねることでしか守れないことを知っている生粋、本物の京都人である。ただ当主と言えども、ここまで400年以上にわたって、連綿と紡がれてきた歴史の重みは、自分の裁量だけでどうにかなるものではない。
母が外にでても、大叔母の子供など、探せば養子候補となる親戚がいないではないが、祖父はどうしても、後を自分の子供に継がせたかった。そこで、結婚を認めるにあたって、子供が複数できれば、その一人を養子として貰い受けたいと話をした。妥当な線というよりも、最大限の譲歩だといって良い。
しかし、父はそれさえも首を縦に振らなかった。
拒否をしたというのではない。ただ、母は心臓に疾患があり、子供が何人できるかわからないこと。その約束が母に負担となるであろうこと、また子供が何らかの障害を持って生まれた場合のこと、そして何より、子供の人生は、親が決めるのではなく、本人にきめさせてやりたいということを、冷静に切々と訴えたという。
言いたいことはわかるし、間違ってはいない。しかし、大多数の親族の激しい反対を押し切って結婚を認め、最大限の譲歩をしたにもかかわらず、首を縦に振らなかった父に対して、祖父はわだかまりがあった。それも当然のことだろう。それから翌年、兄が生まれるまで没交渉に近い状態で、親戚の手前もあり、祖父は母にも会わなかった。

それから約一年が経ち、兄が生まれた日、父は母には内緒で、突然祖父を訪ねてきて、名付け親になってほしい、そして、できれば名前の中に「義」と言う文字を入れてやってほしいと頭を下げたという。
母の生家である堂上(どうがみ)家では、先祖代々、命名の決まりごととして男の子には「義」と言う文字が、おんなのこには「真」の文字が入る。祖父の名前は「義文」、母は「真弓」と言い、兄だけでなく僕の名前も同じように祖父がつけ、「義」と言う文字が入っている。
養子縁組を否定しながら、結局は同じことではないかと思う人がいるかもしれないが、そうではない。父は兄や僕を養子にすると約束したわけではなく、子供たちが大きくなってから本人が考えることだという前提に変わりはない。ただ、将来、京都の伝統ある商家を継ぐことになったとしても、恥ずかしくない人間に育てるということ、そして祖父にもそれを一緒に見守ってほしいということを伝えたかったのだろう。
僕は、父が亡くなった後も、祖父と二人でよく飲みに出かけた。そしてこの話を酔った本人から、行きつけの祇園の静かなクラブで聞いた。
「ハルよ(祖父は僕をこう呼ぶ)、学歴とか家柄とはしょうもないもんには目もくれんと、この男を見つけ出した真弓は、わが娘ながらなんと大したもんかと、ほんまに驚いた」と、胸を反らせ冗談めかせて言うと、水割りをグッと呷り両手で顔を覆った。
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