第62話 高機能新素材の発明と社長交代

文字数 1,970文字

午後の社長室には、美穂子、洋さん、雅弘さん、タケと僕、それとお母さんと二連のベビーカーに乗ってスヤスヤと眠る円ちゃんと仁くん、山下繊工の未来を担うメンバーがそろった。元副社長のお母さんは、今でも取締役であり、長い間、営業の最前線に立って、社長と二人三脚で今の会社の基礎を作ってきた。社長から付いていなくて良いので、会議に出て話を聞いてくるように言われたらしい。
「さてと、まずは、昨日送られてきた新しく完成した新素材の結果について、ご説明いただきましょうか」というと、「では私が・・」と雅弘さんが、軽く手を挙げた。
従来のものと比較して、機能的に軽量化と耐熱性が強化されることはわかっていたが、ポイントは、その機能がどの程度維持・継続できるのかという点にあった。それは大きく分けると一定温度の耐熱耐冷時間と、通常の使用での耐用年数の二つがあるという。一般的にはこの二つは関連しており、摩耗や疲労が大きくなると耐用年数が短くなってしまう。その二つの耐性とその関連性について調べてもらうよう、複数の検査機関に送っていた。どちらも、従来のものを大きく上回る結果が得られ、かつ耐熱耐冷時間が耐用年数にそれほど大きな影響を与えないことがわかったという。
「それは軽量化、耐熱耐冷性だけでなく、耐久性も高いという理解でいいんですか?」
「一般的な用語としては、そうご理解いただいて結構です。宇宙服や特殊な環境下での作業服の他、工業製品にも使用できる非常に汎用性の高いものだと考えています」
僕は、その複数の検査機関の結果を踏まえて、その特性や機能、汎用性について、わかりやすいレポートを作ってもらうように依頼した。
「いつまでにできそうですか?」と尋ねると、「この三連休が終わる月曜の夕方までに」と即答した。「ほんとに大丈夫?」と美穂子が驚いて念をおすと、「徹夜は慣れているし、みんな大変だということはわかってるからね」と頼もしく請け合ってくれた。そして、「あと、私が聞いておくことはありますか? 経営的なことではお役に立てないので、できれば、すぐに作業に取り掛かりたいのです」と言って、たくさんの資料を抱えて社長室を出て行った。

もう一つは、僕からの提案。
「この間の脳梗塞と言い、今回の心筋梗塞といい、社長が何回も倒れるいうことは、経営管理上、好ましいことやない。株価が大きくぶれる原因にもなるしな。ちょぅど良い機会やし、ここで山下社長には、退任してもうた方がエエんやないか思てるんやけど、どうやろ?」
急にそんなことを言い出すとは思っていなかったようで、美穂子や洋さんだけでなく、タケもびっくりしたような顔で見る。
「ハルさんの言われていることは理解できますが、今ですか? このバタバタした時に社長交代するんですか?」
「どうせ、これ以上ないほどバタバタしてるんやから、この先もバタバタするようなリスク要因は、一緒に片付けておいた方がエエんとちゃうかな」
「会長になってもらって、経営体制を強化するってことですか?」
「それぞれの役職名だけ変わっても、体制は強化されへんやろ。社長には経営の中心から降りてもらう。平取の工場長くらいが、ちょうど良いかなと思てんのやけどね。実際に、いまでも工場長みたいなもんやし」
そう言うと、お母さんが少し離れたところから口を出す。
「本人からも聞いてます。もともと金融とか提携とか難しいことは得意ではないし、一介の技術屋に戻してくれるとありがたいとのことです」
それは、僕が午前中に、社長の了解を求めたことだ。元々、本人も社長職に固執するような人ではなく、「それは良い」と喜んでいた。後任や全体の体制についても話をしてあるが、それはまだ、二人だけの秘密だ。
あえて感じの悪い言い方をしたのは、この手の話がでたときに、一番傷つくのは洋さんだからだ。彼と僕の感情的な対立が、今回の会社存亡の危機の発端にあることは間違いない。結果論とはいえ、現状を見れば、僕の意見が正しかったことになる。彼も、美穂子とは違う立場で、他人からの非難の目と後悔の中で、自分を責め続けてきたのだろう。
それでも逃げずに、針の蓆の上に立って必死になって会社を支えてきた。彼と僕とは、友達になるというタイプではないが信頼できる人だ。自分の口からは言わないが、今回、僕に助けを求めるように社長や美穂子に進言したのには彼だという。ただ、現状が収束して一段落すれば、結果に関わらず責任をとって会社を去るつもりでいることは、言葉の端々から感じ取れる。どうなるにせよ、それは何としても避けたい。
「個人的にはそれがエエかなぁと思てるだけで、突然、そんなこと言われても困るやろし、これについては、いまのところは僕の意見ということで、また明日続きを話ししよか」
そう言って、一旦この話を打ち切った。

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