第73話 日繊工は山下繊工の株式の2割の株式を取得

文字数 1,617文字

最終説明の舞台は、大阪、日繊工の本社、最上階にある役員会議が行われるふかふかの重厚でVIPな会議室だった。山下染工の座るとチクチクするソファとえらい違いだ。防御反応なのか、緊張すると無意識にしょうもないことが頭に浮かぶのは悪い癖だ。
会議の冒頭、日繊工の藤森社長からの丁寧な挨拶を受けた。その後、こちらからは副社長の洋さんが御礼の挨拶を行った。先方の参加者は10名。社長を筆頭に60代、50代で全員が男性。こちらの山下繊工は40代前半の男2名とまだ30代半ばの美穂子の3名。
この会議によって山下繊工の未来、存亡が決まるといっても過言ではない。緊張するなというのが無理な状況だが、洋さんの挨拶は、媚のない実に力強い堂々としたものだった。
参加者の紹介のあとで、まず新素材の開発責任者として専務の美穂子から、スライドと資料を使って新しく開発した新素材について説明を行った。
先方の開発担当常務からは、いくつかの質問が行われたが、それは、疑問点を解消するのではなく、新素材の素晴らしさを際立たせるためのものだった。
「前回、詳細な資料やデータを山下繊工さまから頂戴しております。この新素材の最大の特徴は、耐熱時間と耐用年数を兼ね備えた高い耐久性にあります。瞬間的な耐熱性や素材の軽さだけを追求することは、技術的にそう難しいことではありませんが、一般的にはそれに反比例するように耐久性は低下していきます。この新素材は、その最も難しいポイントを双方クリアしています。非常に汎用性の高い、広がりのあるものです。繊維業界にとっては従来の製品とは一線を画す、新しい発明と評すべきものであり、高機能繊維の新しい未来の扉を開くものだと言っても良いと思います」
この開発担当の木村常務も日繊工ほどの大会社の開発担当役員であることから、相当の実績をもつ、高いレベルの技術者であることは間違いない。ただ、述べたように高機能繊維の開発では一歩出遅れており、木村さんもこの会社の中では厳しい立場にあるだろう。それにも関わらず、社長や副社長の前で、外部の技術者や他社の商品をここまで手放しで絶賛するというのは、誰にでもできることではない。
次に、財務担当役員及び、法務担当の弁護士から、山下繊工の株式取得に関する説明が行われた。日繊工側の取得した山下繊工の株式は、全体の20.08%になると発表された。
「今回の様々な情報の混乱の中で、当初想定しておりました金額の40%程度で取得させていただくことができました。ただ、株価の低下は山下社長の一時的な体調不良が、実際以上に反映される結果となったものであり、その開発力・技術力を考えると、不当に低いものだと考えております。当社としても、優良な資産を低価格で取得させていただいたものと高く評価しております」
さすがに、「山下社長が倒れてくれておかげで…」という話ではないが、それに端を発する情報の混乱の間隙を突いたことは事実であり、新素材開発や業務提携が発表されれば、株価は跳ね上がるだろう。日繊工からすれば、「結果的にいい買い物をさせていただきました」というのは、お世辞でも何でもない。
つづけて、法務担当弁護士から、「今回の株式取得に関しましては、何ら法的な問題は生じません」という、ごく簡単な短い説明が加えられた。
今回の流れの中で僕が気にしていたポイントの一つが法的な問題、つまり、インサイダーに引っかからないかということだった。阿部室長とホテルで最後に一枚の紙を見せ、これからの動きや流れについて示したときに、口頭で確認を依頼していた。
その基準には曖昧な点も多いのだが、企業の法務担当弁護士が胸を張って大丈夫というのであれば、問題ないのだろう。それが、僕が阿部室長に求めた問いの答えであり、その点に関しては日繊工が責任を持つということである。どの点がどのように問題あるのかないのか、それをどのように処理したのか細かく聞く必要はない。
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