第39話 僕はマザコンなのかファザコンなのか

文字数 2,179文字

ガチャリと玄関の鍵を開ける音で目が覚める。
時計を見ると午後三時。うたた寝ではなく、ガッツリな昼寝になってしまった。
「お目ざめですか? 私よりもハルさんの方がお疲れじゃないですか?」
夕食に足りないものを商店街に買いに行っていたらしい。ホテルに泊まることも多く、普段はそれほど眠りが深いわけでもないが、結衣のそばで寝ていると、朝まで気がつかずにグッスリということが多い。こういうところで歳の差を感じてしまう。
早めの夕食は、結衣の作った錦糸卵のたっぷり乗った鰻丼と、ゴマの香りが香ばしい胡瓜とわかめと茗荷の酢の物、しじみの味噌汁。
「大文字さんどこで見ますか? 白梅町からも見えますし、チョット歩けば船岡山もおすすめらしいです」
買い物ついでに商店街の八百松さんで情報を仕入れてきたらしい。
「どうしようか。車を置きに帰らんとあかんし、一緒にうちにくるか?」
「お伺いしてもいいんですか?」
「狭い小さい古い家やけどな。うちのほとけさんらも、送り火に乗ってもうすぐ帰らはるし、その前に仏壇に線香あげたって」
途中で花を買いたいと言ったので花屋に寄る。誰もいないので、緊張する必要などないのだが、いつもより口数がすくない。僕は運転のために、浴衣に革靴という何ともミスマッチな格好。この時期、京都ではありがちなファッションだともいえる。

座布団をよけて仏壇の前に座る。花を供えて、ろうそくに火を点けて線香を上げると、数珠をかけながら両手を合わせる。僕はその隣で胡坐をかいて、長い睫毛と重なった指をずっとみている。
「お父さま、お兄さんとハルさん、どちらにも似ておられますね」
「そやな、父さんが亡くなったんは、ちょうど、今のタカちゃんと同じ歳、僕はあと二年でそうなるし。なんやその年齢に追いつくいうんが、複雑な気分やけど」
生前の父を知る多くの人からも、僕も兄も歳を重ねるごとに、父によく似てきたといわれる。でも、僕とタカちゃんは顔も雰囲気も似ていない。そういうものなのかもしれない。結衣と話をしていると、普段は覚知しない心の奥底にある何かが引き出されていく。結衣は何も言わず、僕が話し始めるまで静かに待っていた。
「前に、僕とタカちゃんの名前の話ししたやろ。父さんが隆春で、タカちゃんは、「まるよし」に代々続く義に隆で義隆、僕も同じく義に春と一字ずつ。母さんは可愛くて素敵な人やったけど、中心にいたんは父さんやった気がする。でも父親としての父さんはどんな人やったかはわかるけど、一人の大人としてとか、一人の男としてみたいなことはようわからんのやな。僕がまだ子供やったいうこともあるし、病気になってからのやせ細って、寝てるイメージが強う残ってるしな」
「私も母のことがあるので、そのお気持ち、なんとなくというか、よくわかります」
「この間、真純が、僕のことを京都一のマザコンやっていうたやろ。そうかもしれんけど、僕もタカちゃんも本質的にはファーザーコンプレックスやろな。なんていうのか、喪失感というより手の届かんところにある欠落感やな。子供の時は考えもせえへんかったけど、父さんの亡くなった歳が近づくにつれて、似てきた言われると、ほんまのところはどうなんやろ、僕やタカちゃんは父さんから何を受け継いだんやろ、父さんの歳を超えたらどうなんのやろと、色々考えて、なんや複雑な気分になる。『もうちょっと長生きしてほしかったな、色々話したかったな』って、子供の時の哀しさや寂しさとは違う感情でそう思う」
「お母さまは、そのことについて何かおっしゃってましたか?」
「母さんは、子育てとか教育とか、表面的なことには、とんと興味がないいうか、多分聞いても、『男はんは色々考えることがあって大変やなぁ』って言うて仕舞いやろな。何をするんにも、自分で頑張って考えなさい、正しいと思たらしなさい、答えが出たらこっそり教えてねって感じで、すべての基準とか情熱が父さんに向いてるような人やった」
答えが出るわけではないが、たまには立ち止まって、自我を組成しているのは何かを冷静に考えるのは悪いことではない。それが命日やお盆の役割なのかもしれない。もちろん、それは両親からの影響だけでなく、恋をしたり、仕事をしたり、後悔したり、恥をかいたり、様々な人や書物などとの出会いの中で変わってくるものだろう。日々のインプットやアウトプットを通じて、ある程度の客観性をもって自分を見つめられるようになることが、大人になるということなのかもしれない。
「この年になると、その漠然とした欠落感も、自分の核となっている一つの大切な個性やということがわかる。今は、結衣が僕の人生に大きく影響与えてるしな」
「私は…」といったところで言葉が切れた。
二人の写真の隣で、線香からゆらゆらと煙が上がっている。
照れ隠しに「こういう時は、『ハルさん』って抱きついてくれるんやないの?」と笑うと、「ご両親のお仏壇の前ですし、それに飛びつくにはちょっと足が痺れました」と、涙を拭きながら「痛タタタタ」と横向きに腕をついて倒れた。
そろそろお出かけの時間ですよと柱時計の鐘が鳴る。「まあ、たまにはうちにも泊りにおいで、古いすき間だらけの家やさかい、あんまり大きい声は出せへんけど」と笑うと、「ご仏壇の前でひどい、バカ」と言って、足をさすりながら恥ずかしそうに笑った。
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