第33話 少し複雑そうな結衣の家族の話

文字数 1,961文字

最初はあれほど恥ずかしがったのに、今は二人でお風呂に入るのが当たり前になっている。先に入ろうとすると、洗いものが終わるので、もう少し待つように言われる。
結衣が僕の身体と頭を先に洗ってくれて、そのあとで僕が結衣の背中を洗う。結衣が頭を洗っている間に湯だってしまわないよう、カランと反対側の端に座って、足を湯の中でチャボチャボさせながら話をする。
僕の家族の話を結衣は聞きたがった。
「じゃあ、入院中に何度か来られていた男性の方が、お祖父さまの跡を継がれてあの呉服屋さんの社長さんをされている実のお兄さんなんですね。おいくつ違いなんですか?」
「二つ違い」
「えぇ~ 五つか六つは離れていると思ってました」
「よう言われる。ごめんよ、たよりのーて」と言うと、「違いますよ。ハルさんは若いってことですよ」とコロコロ笑って言い訳をする。実際、大叔母ふくめ親族でも五つ、六つ離れていると思っている人は多い。
「最初の頃、ハルさんの頭痛の原因がわからなくて、熱も下がらなくて大変だったでしょ。ムンテラ(医師から家族への説明)があって、私も出席したんですけど、物腰は柔らかくて口調も丁寧だけど、頭が良くて医療に関する知識も豊富で、それより鬼気迫るものがあったというか、ドクターもみんな緊張してました。私もですけど」
「タカちゃんは結婚して子供もいるけど、兄弟は僕だけやしな。母さんを二年前に亡くしたとこで、色々思うところがあったんやろ。知らんかったけど、ありがたいことやな」
湯気の中で沈黙が、ゆらゆらと揺れている。
結衣は僕の家族の話を聞きたがる一方で、自分の家族の話はほとんどしない。言葉の端々から、結衣が家族との間に何かわだかまりを抱えており、悩んでいることはわかっていた。カランから、ポトポトと水滴の落ちる音が聞こえる。
「それは結衣のご家族も、おんなじやと思うで」と言うと、「はい。その通りです。今度は私の家族の話も聞いてくださいね」と、今日は泣き出さずに微笑んだ。

「そうそう、あの高校生くらいの姪御さん、最近のアイドルなんて目じゃないほど可愛くて綺麗ですよね。挨拶もしっかりしてて言葉遣いも丁寧だし、向こうが透き通って見えるというか、そこにいるだけで雰囲気がかわるというか、若いドクターの間でも大評判で、『今日、見た、来てた』って大騒ぎだったんですよ。師長に思いっきり叱られてましたけど…」
患者の前では、医師はそんな軽いそぶりは全く見せないが、人間だからそういうこともあるんだろう。「外見は真純が一番、母さんに似てるかな。お年頃になったんと、おじさんに若い彼女ができたんで、最近、口もきいてくれんけど」と言うと、「えぇ、もしかして私、嫌われてるんですか。ショック」と顔を顰めた。
室町の「まるよし」の本店からもらってきた二つの包みには、浴衣と帯び以外にも男性用の下駄や扇子、浴衣の下に着る和装女性用の下着、結衣の帯留めや髪飾りまで、久美ちゃんからの自筆のお手紙付で、すべてがそろっていた。
呉服屋門前の小僧である僕は、誰かに習ったわけではないが、浴衣から紋付き袴まで一人でを着ることができるし、人に着せることもできる。母は、着付け教室を主宰するほどだったが、父が亡くなってからは、僕に着ていくものを選ばせたり、着付けの手伝いをせがんだ。
そんなことを思い出しながら、久しぶりに、女性が浴衣を着るのを手伝う。
髪形は、どんなふうにすればよいかとあれこれと悩んだが、ストレートの黒髪をアップにして簡単にまとめる程度で、久美ちゃんの用意してくれた髪飾りを添える。
それから、ごく薄いお化粧をして、ソファの前にでてきた。
「どうですか」と少しはにかみながら聞く。
「ほぅ」と、思わず声が出る。実際に袖を通すと、柄もずっと映える。少しなで肩の緩やかなラインが、女性らしさを引き立てている。
「結衣はどう思う?」
「自分じゃないような感じです」
「右に同じく、別嬪さん、よう似合うてる」と言うと、照れるかと思ったが、「ありがとうございます」と目をうるませて、頭を下げた。
結衣は、浴衣での立ち座りなどの所作が気になるようで、動画サイトをみて研究していたようだが、当日になって、「せっかくやし、選んでくれはったお店の人にも見せに行こか」と言ったので、兄や兄嫁にも合うかもしれないと更に緊張してしまい、準備が大変なことになった。
浴衣のままでそろそろと内股気味に歩く動作や、椅子席、座敷席での立ち座り、お辞儀の仕方などの所作について、しっかりと練習に付き合わされた。途中で面倒になって、「そんな心配せんでも大丈夫やて」と言ったが、下駄に履き替えて、マンションの廊下を、背筋を伸ばしてゆったりと、内股小またで何度も往復しながら、「本当におかしくないか、ちゃんと見てください」と叱られた。
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