第38話 そうして僕は結衣の別腹に収まっていく

文字数 1,836文字

お盆休みに入る八月第三週は、コンサルティング業務も一段落する。
正月には迷惑をかけたため、この時期なにかと多忙な兄や兄嫁に変わって、真純や義成と両家のお墓の掃除をしたり、幼稚園に入ったばかりの真琴をつれて新しくできた水族館に連れて行ったりと、それなりに忙しい日々を過ごす。
結衣も水族館に誘ったのだが、お盆の期間は、帰省などで既婚看護師の希望休が多くなる一方、長期休暇を設定している企業が増えており、その間に短期入院による手術や検査入院を希望するサラリーマンが集中するため、内科病棟は忙しいらしい。
四月以降、定例会議を隔週としたり、いくつかのプロジェクトが終了したりと、ルーティンなものを少しずつ減らしたため、時間的には余裕ができている。結衣の勤務スケジュールは基本的に一か月前にはわかるために、お茶を飲んだり、準夜勤の前に軽くランチをしたりということもある。
今月は、送り火と「八坂 ふじたか」にお礼に行く予定にしている。まだオープンしてから三年程度の新しい店だが、最近はネットや口コミで評判が広がり予約をとるのが難しいらしい。「いつでもいいよ」と伝えていたが、送り火の翌日の日曜日、午後六時半の予約がとれたと連絡があった。

送り火の当日、結衣は深夜勤務明けなので、朝九時半に病院の近くまで車で迎えに行く。夜勤明けデートの楽しみや高揚感とは裏腹に、日勤、深夜と十分な睡眠がとれないままの勤務が続いて、色っぽい疲れがぼんやりと目元に表れている。
「お待たせしました」
「お盆は忙しそうやな」
「この時期は検査入院の患者さんが多くて、不安でピリピリしてる方と配慮に欠ける方が混在して、雰囲気的にギスギス、バタバタするんです」
僕が入院しているときでも、検査入院の人の中には、大きな音量でテレビを見たり、不安から看護師にどなってみたり、病室内で携帯電話で話す人もいて、看護師長に厳しく注意されていた。
「でもいつものことですし、大丈夫ですよ」
「じゃあ、これからモーニング食べて、精のつくもんでも買うて、一緒に朝風呂に入って、チョット寝て、それから大文字を見に行こか。ちゃんと寝るんやで」と頬をやわらかくつまむと、「それは、私だけの責任ですかぁ」と赤い目でじろりと睨む。
堀川通を札ノ辻まで下がり、アンテルームでモーニングを食べ、豊国神社の前にある老舗のうなぎ屋まで戻って、ふっくら大ぶりの鰻のかば焼きを二枚買う。
マンションに帰って、昼間から結衣と二人でお風呂に入る。
「ハルくん。ご無沙汰ですねぇ。お盆の間は、おとなしくしてましたか?」
僕が浴槽の端に腰を掛けて話をしていると、おもちゃを見つけた子供のように近づき、タオルを取って、半分硬くなっているものを相手に人形遊びを始める。
「夜勤明けに、ハルさんにお風呂に入れてもらえるなんて、極楽ですねぇ」
私の息子は、ハルくんと命名されたらしい。
話しかけるように言って、そのままパクリと口にくわえる。
この半年くらいの間に、結衣はとてもスケベになった。もう少し上品な言葉を使うと、艶っぽくなった、というべきだろうか。そして綺麗になった。
その二つには、恐らく相関関係がある。恋をすると女は綺麗になるという。もし精神的なものだけであれば、同様に男も格好よく魅力的にならないとおかしいが、あまりそういう話は聞かない。またすべての恋が女性を綺麗にするかといえば、嫉妬や損得、後先、押し引きなど、マイナス面が上回り、かえって醜くなってしまう人もいる。
ある女性作家が、自分をさらけ出し、心から情欲的・官能的になることができる男が一人でもいれば、それだけで女は十分に幸せだということを書いていた。何も考えず、本能のままに男を身体の中にいれ、純粋な官能の中に身を浸している時の何かが女性の心や体に大きな影響を及ぼすのだろうか。それは女性としての自信や自己実現などにも関係があるのだろうか。
「疲れてんのとちゃうんかいな?」と髪の毛をなでながら笑うと、「これはいわゆる女の子の別腹です」と左片方だけ口角をあげた、誘うような微笑みを浮かべる。男も極度に疲れたときには欲情するというが、女性の方がずいぶんと単純だ。
立ち上がって首に手を回すと、カンガルーの子供のような姿勢で僕の上に座る。
「重いよ」とクレームを入れても、聞き入れてもらえない。
お風呂の中で響くチャポチャポと湯面が揺れる一定のリズムと、結衣のクンクンした喘ぎ声が重なる。そうして僕はいつものように結衣の別腹に収まっていく。

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