第74話 友好的な雰囲気の中で最終弁論が終わる

文字数 1,857文字

「山下社長のお体は、その後いかがですか?」
資本関係の説明のあと、日繊工の藤森社長が口を開いた。それは質問というよりも、純粋に、その体調を気遣った、心配していただいたということがわかるものだった
「大変ご心配をおかけし、またご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。おかげさまで、先週の水曜日に退院を致しまして、すっかり元気にしております。本日もお伺いしたいと本人は申したのですが、みなさんにご迷惑をおかけしたので、提携がまとまるまでは、家でじっとおとなしくしているように伝えております」
美穂子がそう御礼を言うと、数名の役員が頷きながら微笑をみせた。それは、インパクトを与えるために、発表までは隠れておけということであり、父親がしっかりした娘に窘められている光景が浮かんだのかもしれない。
「そう言えば、山下社長が交代されるのではないかという情報が、一部に流れていましたが、それはどうなりそうですか?」
藤森社長から質問が重ねられる。そのようなことを聞かれるとは思っていなかったようで、美穂子が僕を見たため、参加者の視線がこちらに集まる。

「専務が申しあげたように、山下社長の体調には何ら問題はありませんが、本人から一人の技術屋に戻って研究開発に没頭したいという希望を聞いていることは事実です。ただ、今回、多くの方にご迷惑をかけたので、自分ひとりで決めるつもりはなく、みなさんのご意見に従いたいとのことです」
そう言って、一呼吸置いた。
「私は、外部の経営コンサルタントですから、役員人事に口を出す立場にはありませんが、個人的な意見を言わせていただければ、山下社長の希望を聞き入れ、その後任を専務の美穂子さんにお願いできればと思っています」
そういうと、「ほう」という驚きの声があがった。一番おどろいた美穂子が、目で洋さんに助けを求めたが、彼も彼女に「私もそう思うよ」という顔で、微笑んで頷いた。
「それはいい。山下繊工さんは、繊維工学の最先端を走る会社ですから、大きな注目が集まるでしょう。それに現在の山下社長に開発にご専念いただけるというのも大きな強みだ」と、その雰囲気を汲みとった藤森社長が大きな声を上げた。
「もちろん、それは御社の中でお決めになることだが、私たちも、提携企業として、また株主として、全力でバックアップさせていただきますよ」
そう言って、同意を得るように見回し、笑顔を見せた。
最後に僕から、業務提携の条件の骨子について話をした。
論点としてはそう難しいものではない。新素材を開発したといっても、それがそのまま商品・製品となるわけではない。その汎用性や適性を検討して、更なる創意工夫を重ね、個別の業界、企業ニーズに応えていかなければならない。新素材を基軸とした商品開発、広報営業活動、製造などそれぞれの提携のポイントを挙げ、こちらの希望を伝えた。更に、中長期的には、これからの高機能繊維の開発についても、営業や製造を含めて長期的、友好的なアライアンスを組ませていただきたいという説明をした。
そして、希望されるのであれば、経営陣を一部受け入れる用意はあるが、これまで通り、自由に開発できる範囲で経営権は維持したいと話した。
すべての説明が終わった後、「皆さんから、山下繊工さんにご質問はありますか?」と副社長から、他の役員に確認があったが、質問や意見は出されなかった。
それを受けて、最後に、藤森社長が、「今日は本当に、大切なお話しを聞かせていただき、ありがとうございました。山下繊工さんの、ご意見はよくわかりましたので、私たちも他の役員とも計り、なるべく早く回答させていただきたいと思います」と会議を閉めた。
とても和やかで、友好的な雰囲気の中で、最終弁論が終わった。
あとは、日繊工に下駄を預けるしかない。
そう思って、もう一度頭を下げて、立ち上がろうとした瞬間、重厚な入口のドアが静かに開き、一人の老人が車いすにのって女性秘書に押され会議室に入ってきた。顔色は良いがかなりの高齢で九〇歳に近いだろうか。にこやかに談笑していた役員も話しをやめ、緊張した面持ちですっと立ち上がり最敬礼で迎える。
僕たちも立ち上がり、同じく頭を下げる。
「当社の前会長で、現在相談役の藤森です」
そう阿部室長が小さな声で紹介してくれた。
相談役と言えども、会社内で相当の権力、発言力を維持していることは一目でわかる。
何が起こるのかと思っていると、その男性は僕の方を向いて、ニコニコしながら右手を挙げて、大きな声を上げた。
「やっと会えたなぁ、ハルちゃんよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み