第40話 京都人にとっての送り火の意味

文字数 1,036文字

送り火の場所に選んだのは京都御苑の中。
「ここは、広々としてて静かで落ち着くいい場所ですね」
「歴史とか命とか、色んなことを感じるにはええ場所やな」
「蛤御門の変とか、たくさんの人がここで戦って亡くなってるんですね」
「京の歴史で言うたら、まだ最近やけどな」
明治維新は、ザックリ言えば、尊王攘夷を掲げた討幕派と佐幕派に二分化され、長州藩と薩摩藩が協力して江戸幕府を倒したという話だが、そう単純なものではない。長州藩には幕府に対する積年の恨みがあり、薩摩藩には歪つな上下関係があり、その中に策謀があり裏切りがあり、それぞれに正義、言い分があり、激情による暴発、下克上があり、その混濁するエネルギーの泡沫の中で、たくさんの若い命が無念の思いとともに消えた。誰を主人公にして、どのような歴史ドラマを描いても、それは一面的なものでさえない。歳のせいなのか、西郷隆盛や坂本龍馬、新選組よりも、名もなき若者たちの無念を思う。

大きく息を吐くと遠くの山に、灯りが一つ。
それを合図にゆっくりと燃え広がっていく。東の山肌に大きく、ゆらゆらと浮かぶ大の文字。手を合わせると、お父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃんの顔が浮かんでは消える。焔に心をあずけると、体の感覚が鋭敏になっていく。足裏の下駄の木の節、足指にからまる鼻緒、新しい浴衣の肌あたり、左手を握っている結衣の温もり、ときおり通り抜けていく風。そうして、傍らにいる虫や花と同じ自然のものになっていく。
「五山の送り火って、外から見ると観光行事ですけど、京都で暮らす人にとっては、お盆のしめくくりなんですね」
「霊魂やたましいって言うけど、誰かひとりでも亡くなったその人のことを思い出す人がいたら、その人の心の中に戻ってきてはるいうことなんやろな。お盆が亡くなった人を思い出す行事やとしたら、送り火はその想いに区切りをつけることや。そやし『送り火』っていうんやな」
結衣は、手をつないだまま腕にしがみついている。

「僕も、結衣の亡くなったお母さんに会うてみたかったな」
そう言うと、驚いたような顔で僕を見た。
「『結衣のような素敵な女の子を、育てていただき、ありがとうございます』って、言わんとな。この先、お父さんや今のお母さんにはお目にかかる機会があるかもしれんけど」
そう言って髪をなでて笑うと、みるみる涙があふれ、僕の胸に顔を埋めて泣いた。
「そろそろ火も消えたし、帰ろか」
「はい」
火が小さくなっていくお山に向かって、二人でもう一度小さく手を合わせた。
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