第86話 プレゼンテーションとプロポーズ

文字数 2,110文字

二週間後、報告会はとてもうまく行ったと、結衣が写真つきのメールを送ってきた。その写真は一人ではなく、緊張する結衣の周りで、直属の師長に加え、何人かの看護師、医師が周囲を取り巻いて、Ⅴサインをしていた。
管理職会議は、各科部長の医師や師長が一気に集まるため50人を超える。
リスクマネジメントは重要だということがわかっていても、伝え方によっては、それまでやってきた看護や医療を否定されるように感じる人もいる。また、経験や資格がものをいう医療の世界で、役職者でもない看護師が病院長の直属で、各科の部長や師長を前に、サービス管理やリスクマネジメントの話をするというのは異例のことだ。
失敗するのも経験だと思いながらも、この病院での結衣の最後の大仕事だからと、練習に付き合い、内容だけでなく、話し方、間の取り方など、たくさんのアドバイスをした。最終的なプレゼン資料のチェックはタケがしてくれた。チェックというよりも、最新の効果的なアニメーション機能を付加した、タケの書いたイラストを含め、デザイン的にも機能的にもプロ仕様の完璧なプレゼンテーションとなった。相当な過保護である。

21日の日勤終わりの結衣を車で迎えに行く。
「ハルさんの言われる通り、最初は少し厳しい雰囲気だったんですけど、タケさんからも直前に頑張れメールをいただいて、思ったよりも落ち着いてできました。他科の師長さんや部長さんからも、とてもよかったとたくさん声をかけていただきました」
「一緒に写真に写ってたんは師長とあとは病院長と総師長?」
「そうです。師長はハルさんのことすでにご存じで、終わった後で、『さすが、今を時めくコンサルタントHさんの御指導の賜物ね。Yさんじゃないのね』って言われてしまいました。ちょうど病院長と総師長が通られて、『どういうことですか?』って聞かれて、どちらにもばれてしまいました。御礼のメールをするといったら、『じゃぁ一緒に』ということで、あの写真です」
そう言うと、思い出したように笑いだす。
「そりゃそうですよね。私の話に合わせて、アニメーションの看護師が転倒したり、裁判長がしゃべったり、最初はゴチャゴチャしている図がボタン一つでグルグル回って整理されたり、ドクターからも「おぉ~」って声があがりましたよ。普通に考えて、これほどのレポートや資料が、私ひとりで作れるはずありませんよ」
この半年くらい、何度も病院まで結衣を迎えにきているので、他の人に気付かれていても不思議はないし、もうそんなことを気にする段階でもない。
「それで、師長にはこれからのことを、お話しはしたん?」
「お忙しかったのでまだです。24日にお時間をいただいています。でも、こういう時の雰囲気はわかりますし、何も言われませんでしたが、感じておられると思います」
軽く外で食事をしたあと、マンションに戻って、熱燗で乾杯をすると、結衣が顔を近づけて聞いてくる。
「ハルさん、今日は何の日か知っていますか?」
「何やろな。クリスマスのイブイブ、もひとつイブかな?」そう笑って言うと、
「ブッブー。違います。よく考えてください」そう言って、僕の頬を軽く指でつまむ。
12月22日は、去年、僕が救急車で病院に運ばれた日、結衣に初めて会った日だ。
「思い出しましたか?」
「はい、思い出しました」
「よろしい。ではクリスマスはいつも通り仕事なので、その記念日と一年間の感謝をこめて、ハルさんにプレゼントを用意しました」
そう言うと、「ジャジャーン」とファンファーレと共にベッドの裏に隠してあった紙袋を出してきた。入っていたのは深い紺色と白の二色の模様編みのベスト。ベストというよりも、袖なしのゆったりしたもこもこのカーディガン、もしくは袖なしのダウンジャケットの毛糸版と言うとイメージしやすいだろうか。Ⅴネックではなく、首のところまでボタンがあり、腰のあたりまで丈があるので、とても温かそうだ。
袖を通すと、ふんわりと身体にフィットする。
「結衣にはたくさん引き出しがあるねぇ」と言うと、嬉しそうにはにかむように笑って、「本当はセーターの予定だったんですが、色々と忙しくなって、袖がとれてしまいました。もう少しで挫折して長い腹巻になるところでした」と言って舌を出した。
「では、僕からも、結衣に一年の感謝をこめてプレゼントを」
そう言って、ポケットから、小さな箱を取り出した。
「これはね、47年前に父さんが母さんに贈ったもの。当時父さんはまだお金がなくて、高価なものではないけれど、矢代家の愛がたくさん詰まったものです」
そう言うと、その箱を開けて、結衣の指にゆっくりとはめた。
「結衣、ぼくと結婚してください」
そう言うと、結衣はじっとその指輪を見つめていたが、「はい。よろしくお願いします」と大粒の涙をこぼし、泣きながら僕に抱きついた。
それは、サプライズではない。そうなることは結衣もわかっていたし、直接的には言葉にはしないけれど、タカちゃんも久美ちゃんも真純も義成も、真琴でさえも、早くその実が熟すよう一生懸命に風を送ってくれていた。あれこれ考えすぎる必要はない。生きている人間の作為なんてものは、たかが知れている。
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