第78話 記 者 発 表

文字数 2,019文字

記者発表が行われたのは、一二月大安の日曜日。
当日は、穏やかで温かい麗らかな小春日和。前の週に大きな展示会が開かれていたため、その流れを引き継いだ華やかなものとなった。
今回の記者会見では、次世代の高機能新素材の発表に加え、資本業務提携、社長交代の発表が一度に行われる。その注目の高さから、繊維業界専門誌だけでなく、各種新聞社、経済ビジネス誌の他、スポンサーの関係もあり関西に拠点を置く一部の民放のテレビカメラも会場を占めた。
取材陣も含め、日繊工、山下繊工ともに、参加者はすべて着物着用という、企業間の提携、高機能繊維素材という固い内容の発表会場としては、風変りなものとなった。それは、繊維と和装の結びつき、技術大国日本、伝統と先端科学技術の融合といった様々なコンセプトを刷り込ませるのに絶好の舞台となった。
その象徴となったのが、美穂子だった。
その年の新作展示会で使用された、青磁色に刺繍をあしらった最高級の留袖で登場し、新しく開発された高機能繊維素材の開発責任者として、日本女性らしい楚々とした立ち振る舞いで、スライドを使って説明を行った。その後に美穂子の社長就任が発表されると、取材陣からは感嘆の声と共に、たくさんのフラッシュがたかれた。専門誌からは、新素材の機能や汎用性についての質問がいくつか飛んだが、週刊誌やテレビからは「理系女子」「ママ社長」などのキーワードが中心となった。

僕はその姿を、会場の隅で、車いすの相談役と一緒に見ていた。
「新しい社長さんは、ハルちゃんの昔の彼女らしいなぁ。ほんまに別嬪さんやなぁ。逃がした魚は大きいかぁ」
「何でもよくご存知ですね」
「うちの孫娘、年頃なのが五人ほどおるけど、一人どうや」
「ありがとうございます。ただ、私も来年には結婚しようかと思っているんです」
「そうかぁ、それは残念な。そろそろ年貢の納め時か。ハルちゃんにも、ようようにハルが来るというこっちゃな」
そのフレーズにまた満足したのか、もう一度大声で笑った。
退任する山下社長にも、たくさんの質問が飛んだが、それは、体調不安だけでなく、これまでの暗雲をすべて吹き飛ばすかのような爆笑会見となった。
「私は、もともと技術屋でして。細かい数字見て銀行さんと話をしているよりも、工場で機械や繊維を触っているほうが楽しいし、生に合っとるんです。似合わないことするから倒れたんです。それで新しい社長さんにお願いして、技術長という立派な肩書をつくってもらいました。これからは私のことを『技術長』と呼んでください」
よほど気に入ったのか、「技術長」と書かれた選挙のようなたすきを肩から掛けている。そして、心筋梗塞で倒れた経緯、多くの人に心配や迷惑をかけたことを詫びた上で、たくさんの人に支えてもらったことを感謝し、もう体調には問題ないことを宣言した。
「江戸川かと思いきやこれが三途の川で、鬼さんに、「渡るのか渡らないのか考えているのか」と聞かれまして、「うるさい、新しい繊維のアイデアがでかかってるのに黙ってろ」と言い返したら、『そんな奴は帰れ、しばらくは来るな』とえらい剣幕で怒鳴られましてね、びっくりして心臓が止まるかと思いました。でも、そのおかげでたくさんアイデアが浮かびましたので、これからもっともっと、みなさんに驚いていただけるものを作りますよ。期待してください」
そう言って、笑顔で右手を挙げると、「よっ、技術長」と声援が飛んだ。
日繊工からも、社長交代の発表があった。
会社の若返りを目指して、現社長が会長に、阿部室長が社長になるという。その話は以前からあり、早くて来年の4月、もしくは10月を目途に、その体制づくりが進められていたようだが、11月20日の提携交渉のあとで、今回の発表に合わせろと相談役からの厳命が下り、この2週間足らずの間、その準備で会社も大わらわだったらしい。
阿部新社長に、就任を祝う言葉をかけると、「ハルさん、ほんまバタバタいうより無茶苦茶ですよ。この一か月、小学校の運動会、毎日やっているようなもんでした」と笑いながら困惑の顔を見せた。
ただ、日繊工ほどの会社でも、社長交代だけでは、それほどニュースになるわけではない。会社の若返りをアピールするには、絶好の機会だと言って良く、また今回の提携話は、阿部室長にとっても社長になるための試金石だったのだろう。その日から山下繊工の株価はストップ高が続いたが、高機能繊維というこれまでの弱点を強化した日繊工の株価も、それにつられるようにかなりの上昇幅となった。
両社長の就任を祝う花束のプレゼンターは、真純がつとめた。
フラッシュの中で、可愛い振り袖姿で花束を渡し終えた後、真純がちらりとこちらを見たとき、そこにはいたずらっ子のようにはにかんだ母の顔があった。恐らく、母だけではなく、祖父も、そして父もこの会場のどこかで見ているだろう。
いつの間にか僕の隣に立っていた兄の眼にも、光るものがあった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み